依存するのはよくない、
みたいな言葉や考え方をよく見聞きすることが
ありますが、
たしかに、そうだ
と思っていた自分ですが
ふと今日思ったのは
どこまでを依存と言うんだろう
わたしは占星術に依存しているのだろうか
精神世界や占星術や心の探求
というものに依存し逃れているんだろうか
楽しいし面白いし惹かれるからやっているわけではあるけど、、
と考えてたら、依存が何だか急に分からなくなりました
どこまでを、何を基準として
依存になるのだろう
それがなくては生きていけない、とか?
ないと不安になると依存だとかは聞いたことありますが
でもそしたら趣味ってなんなんだろう、
となってきます。
趣味って楽しいから趣味なわけですよね、
やりたいこと、楽しいこと、面白いこと
だから趣味として成立するものだと思うんですが
そういう楽しいこと、面白いこと、やりたいことを
人生から無くしたら、
もうそれって奴隷的人生だなと思ってしまいます
でも依存するな、と言われたら
そういうことになるのか?と極端ながら考えてしまいました。
依存しない、自立する、という考え方はとてもごもっともな
きちっとした考え方のイメージですけど
わたしの中に出てきた
あまのじゃくからの返答は
どんどん依存するがいい
存分に依存したまえ
でした。
ほー、そうですか
それは面白いですね
依存は愛だと
依存の意味を調べたら、
他のものによりかかり、それによって成り立つこと
でした
たしかに!これが今の日本の生きづらさのひとつではないか !!?!
と思いました。
依存をしてはいけない、ということを教えられた世の中
日本
他のものによりかかることは悪だ、と
助けてもらうこと、迷惑をかけること、
そういうのがしずらい空気感
自分でできることが自立だ、素晴らしいことだ、と
努力しがんばるということが美徳世界観
憧れのフィジーなんてそしたら
依存し放題の国ということですね☆
ケレケレという言葉で他人のものは自分のものともなる
助け合いやシェアがごく普通の文化
結局そういうことですよね
助け合いなんて
言葉を変えれば
依存し合い
とも似てとれるくらい
同じようなこと
それを依存がよくないという流れが作られれば
ひとりでがんばろうと、自分という方向に意識が向く
自分でなくとかしなくては
自分がやるんだ
自分、自分、、
そうなると相手が助けてほしいんだ、
と頼って来たら
自分でなんとかしたらいいのに、
自分でできるでしょ、
自分でやってよ、
と自分の連鎖になるのかなと思いました。
自分の依存が許せると、相手の依存も許せるのか
分かりませんが
そもそも依存を必要とするのかしないのかさえ
人によるものだとは思いますが
今世持ってきているテーマや課題も違いますし
ひとりでがんばることをしに生まれて来ている人もいれば
人に頼ることや正直になることが課題の人もいると思うので
一概には言えないですが
でも依存がよくなくて
自立することがいい、とされてる
このいまの日本の世の中のどこか生きづらい苦しい感じは
どうなのかと思いました。
昔の日本だって
お金持ちの家とか近くの人に依存してましたよね
テレビのある家にいつも人が集まってた
隣の家の人が毎晩お風呂入りに来てた
勝手にタンスのなかをあさってた
田植えは近隣のひとたちみんなで一緒にやってまわる
うちの亡きばあちゃんが話してくれたことのある
昔の私の実家や近隣で起きていたことです
これを依存と言うか助け合いと言うのかって
すごく難しくないですか
どこまでが依存で
どこまでが助け合いなのか
なので結局わたしの結論では
助け合いは依存だと思いました
なのでどんどん依存し合ったらいい
と思いました
依存という言葉の持つ
なんとなくわるいことなイメージや呪いが
溶けたらいいなぁと
わたしは
占星術や心のことや精神のこと
そんな目に見えないあやしい領域に
これからもどんどん依存していこー(笑)
と思いました☆
人に頼るのは苦手な性分です。。