こんばんはにっこり


最近はバイトがが無いので(4日からまた始まります泣くうさぎ)暇すぎてずーーーっとブログを書いていますニコニコ


下書きが溜まってきたので、今日は2本目を投稿しようと思いますチョキ




今回は私がうつ病になった経緯など過去について話します。




中学生の時の文化祭で、刑事ドラマを作ることになり、私はギャルの容疑者役をやりました笑ううさぎ


それがすごく楽しくて、少しずつ「演技」という世界に惹かれていきました


ちょうどその時期に、「私が女優になる日」という飯沼愛ちゃんなどがデビューしたオーディション番組を見て本格的に演技がしたい!と思いましたニコニコ


そこで私は実際に劇団で活躍している方が顧問をしている演劇部がある高校に進学しました


演劇部に入部し、学校祭と高文連(大会)の2回主役として舞台に立たせていただきました


高文連で気合いが入っていた私たちは、

平日はほぼ毎日学校終わりに稽古をし、家に帰り電話でセリフ入れをし、学校が休みの土日は河川敷に集まって稽古をしていました。


よく考えたらパンクするのも当たり前な日々でした魂が抜ける



そして高文連が終わり、次の作品に取り掛かろうという時期、少しずつ私の心が壊れていきます。



主役を2回連続で任せていただいたことから部活内での私への期待が高まっているのを感じていました。


その期待に応えなくてはという焦りから誰かに自分の演技を見られることがすごく怖くなってしまったのです。


あんなに大好きだった演技が、怖くなってしまったことにも絶望でした。


次第に私は部活に行けなくなってしまいました。


ですが、家では毎日部活が楽しいと母に話していたのでそんなこと言えず、学校から家まで7.5kmを歩いて帰ったりして時間を潰し、部活に行っているフリをしていました。


そんなことが上手くいく訳もなく

ある日学校に行く準備を全て終え、あとは家を出るだけ、というところで限界がきてしまいました。



その日初めて学校をズル休みしました。



そして部活の為に学校に行っていた私は、遅刻が増え、欠席が増え、だんだんと学校に行けなくなり、いわゆる不登校になりました真顔


唯一の救いは、親が理解してくれたことです。

なんでもっと早く相談しなかったのだろうと、今は思います。


そこからのことは正直あまり覚えていないのですが

最初は起き上がること・食べることが出来なくなりましたネガティブ(この時期は今より10㌔近く痩せていました⬅️現在太りすぎ)


その時いちばん辛かったことは、

毎日母がご飯を作ってくれるのに食べれなかったことです。すごく申し訳ない気持ちでいっぱいでした


その時通っていたクリニックは正直私には合わなかったようで悪化するばかりだったので、少し遠いクリニックに転院しました。


それから2、3年が経ち

完治はしてないですが、少しずつ良くなってきました。


今でもたまに希死念慮が押し寄せてきて辛い時もありますが、きっと一生抱えるものなんだなと思い向き合っています。


これから辛い時はブログに吐き出すこともあると思います魂が抜ける


その時は落ち込む時期なんだなぁと見守ってくださるとありがたいですショボーン


最後まで読んでくださりありがとうございます

みなさんも抱え込みすぎず周りを頼って生きていきましょうオーナメント