ひよっこ女SEのお仕事日誌★ -2ページ目

ひよっこ女SEのお仕事日誌★

この春から某ソフトウェア会社に入社した、文系出身22歳新米女SEが、会社生活の日常のアレコレを綴ります。女の子の文系出身新人IT技術者から見たIT業界って…!?

今回は、前回9月6日の18時半ごろのブログで紹介した本
『日本語力と英語力』 齋藤孝、斎藤兆史・著
2004年 中央公論新社 (新書)
*****Amazonのページはこちら *****
***** 元記事はこちら  *****
について、私自身の感想や考えを書きたいと思います。
今回は分けたうちの3回目です。


【注意】
あくまでこれは私個人の意見です。
「ことば」というものに魅せられて、大学で英語学を学んでいる一大学生としての考えです。
ただ、感覚や感情だけでものを言っているのではありません。学部レベルではありますが大学で理論も学んでいますし、ほんの数年ではありますが塾講師のアルバイトや学習支援のボランティアなどを通して生の子どもたちとも触れ合ってきました。
考えや表現に稚拙な面もあるかと思いますし、また反対の意見をお持ちの方もいらっしゃると思います。不愉快に感じられる方もいらっしゃるかもしれません。
それはそれで結構です。
だだ、批判のメッセージなど頂いてもお返事する余裕がございませんのでご了承ください。


また、この原文は2007年8月に、当時大学2年生だった私が書いたものです。
従って、時代の流れの影響を受ける事柄には少々古い内容も含まれています。


長いので、3回に分けて更新したいと思います。
今回は3回目最終回です。


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■生徒皆が「先生」になる学習法


 齋藤孝氏が中学校の授業の中で実践している方法に、「先生増殖方式」というものがあるそうだ。
3、4人のグループを作り、交互に先生役になってグループ内の他のメンバーに覚えたことを教える、というものである
従来の学校の授業といったら、先生が一方的に話し生徒は黙って聞いているだけ。これでは主体的に先生の話に耳を傾け、メモをとり、理解しようという気にはならない。


ところが「先生増殖方式」では、後で自分が先生の言ったことを再生して発表しなければならないので、一生懸命ノートを取るようになるそうだ。
生徒が前を向いて椅子に縛り付けられているのではなく、積極的に活動できるような授業は望ましいと思う。
(私が高校2年時にお世話になった英語の先生の指導法はこれに通じるものがあった。)



■まとめ―中身の濃い「英語」を


 この本で英語の勉強法として言われていたのは、古典的な学習法に回帰せよ、ということであった。
薄っぺらな英会話のできる人ではなく、中身の濃い英語が使える方が重要だということだ。
それには、話し言葉より書き言葉、である。

最終章『21世紀の「英語達人」のすがた』では斎藤兆史氏が「これまで世界を感動させてきた日本人の英語は、全部、書く英語です。」と述べている。


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ここまで読んでくださった方、ありがとうございます。


この本を読んで私が感じたのは、
今まで漠然と「英語ができたらいいなー」と思ってきたけれども、

目標はただペラペラと話せることではなく、

複雑な思考や論などをきちんとした英語で的確に表現できるようになることだと、

改めて認識させられたなぁ、ということです。


この原文を書いて早2年ですが、初心に帰って頑張りたいと思いました。

今回は、前回9月6日の18時半ごろのブログで紹介した本
『日本語力と英語力』 齋藤孝、斎藤兆史・著
2004年 中央公論新社 (新書)
*****Amazonのページはこちら *****
***** 本紹介の記事はこちら  *****
について、私自身の感想や考えを書きたいと思います。
今回は分けたうちの2回目です。


【注意】
あくまでこれは私個人の意見です。
「ことば」というものに魅せられて、大学で英語学を学んでいる一大学生としての考えです。
ただ、感覚や感情だけでものを言っているのではありません。学部レベルではありますが大学で理論も学んでいますし、ほんの数年ではありますが塾講師のアルバイトや学習支援のボランティアなどを通して生の子どもたちとも触れ合ってきました。
考えや表現に稚拙な面もあるかと思いますし、また反対の意見をお持ちの方もいらっしゃると思います。不愉快に感じられる方もいらっしゃるかもしれません。
それはそれで結構です。
だだ、批判のメッセージなど頂いてもお返事する余裕がございませんのでご了承ください。


また、この原文は2007年8月に、当時大学2年生だった私が書いたものです。
従って、時代の流れの影響を受ける事柄には少々古い内容も含まれています。


長いので、3回に分けて更新したいと思います。
今回は2回目です。


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■実践的コミュニケーション能力とは


 「実践的」コミュニケーション能力とは、単発の口語表現が使えることではないだろう。「中身のあること」をしっかり伝え、相手の発言も受け止めた上で、さらに自分の考えを的確な表現で伝えられる力こそが「実践的コミュニケーション能力」ではないだろうか
流暢な英語が話せる人には感心するが、ネイティブだったら3歳児だってペラペラと英語を喋るのである。



■日本語を「書け」ない日本の高校生


日本人の日本語の質にも様々ある。
高校生に小論文指導をしていた先輩が、何も教える前に実際に高校生が書いた作文を再現してくれたことがある。一瞬目を疑ったが、世の中の高校生にはあのような文章を書く生徒が結構多いらしい。


「なぜなら」と書くべき所を「だって」と表現したり、「少子化」の漢字が書けず「しょーし化」と表記したり、一文が妙に長く係受けの関係がおかしかったり、「フリーターは良くないと思う」という結論で書き始めたのに「夢を追い続けることはいいことだと思う」で終わったり、といった具合だった。


話し言葉と書き言葉の区別ができていないのである。
また、論理が滅茶苦茶であった。

だがこのような高校生も間違いなく日常生活には困っていない。
買物だってできるし、友達と昨日見たテレビ番組の話だってできる。しかし内容の深い話はきっと苦手だろう。
きちんとした言葉を身につけるのに必要なのは、斎藤氏が言うように、話し言葉よりもむしろ「書き言葉」の訓練ではないだろうか。



 国際化において身に付けなければならないのは、小手先の会話力ではなく、内容のあるまとまったことを的確に表現することではないだろうか。
中途半端な旅行会話ができる人よりも、正しい英語で中身の濃い話ができる人の方が、必要な人材ではないのか。その辺を会話重視の英語教育を支持する多くの日本人は取り違えているように思う。



■日本語を豊かにした古典的な英語学習法


 斎藤氏は、古典的だと敬遠されがちな学習方法にこそ価値を見出している。


その中に「英文解釈」があったが、これが非常に興味深かった。
英文解釈を通じて、論理的思考能力が鍛えられるというのである。確かに日本語と比べて英語は構造的であり、これを「なんとなく雰囲気で」訳すのではなく、的確に過不足なく整った日本語に置き換えるのはかなりの労力を要する。修飾関係を見抜いたりすることで、論理的に物事をとらえることが可能になり、日本語に対する客観視もできるようになる。


そして、英語的な表現が入ってきて日本語が豊かになるというのは意外で面白い。
確かに日本語だけをやっていたら関係代名詞的な表現などは出てこない。英文を的確に日本語に置き換えるために生まれた表現が新しい日本語の表現を創り出し、結果日本語が豊かになったという。

今回は、前回9月6日の18時半ごろのブログで紹介した本
『日本語力と英語力』 齋藤孝、斎藤兆史・著
2004年 中央公論新社 (新書)
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***** 前回記事はこちら  *****
について、私自身の感想や考えを書きたいと思います。



【注意】
あくまでこれは私個人の意見です。
「ことば」というものに魅せられて、大学で英語学を学んでいる一大学生としての考えです。
ただ、感覚や感情だけでものを言っているのではありません。学部レベルではありますが大学で理論も学んでいますし、ほんの数年ではありますが塾講師のアルバイトや学習支援のボランティアなどを通して生の子どもたちとも触れ合ってきました。
考えや表現に稚拙な面もあるかと思いますし、また反対の意見をお持ちの方もいらっしゃると思います。不愉快に感じられる方もいらっしゃるかもしれません。
それはそれで結構です。
だだ、批判のメッセージなど頂いてもお返事する余裕がございませんのでご了承ください。


また、この原文は2007年8月に、当時大学2年生だった私が書いたものです。
従って、時代の流れの影響を受ける事柄には少々古い内容も含まれています。


長いので、3回に分けて更新したいと思います。



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■幼いうちは、まず母語で内面を育てて欲しい


 私も小学校での英語教育には反対の立場だ。
両斎藤氏が書かれているように、小学生のうちは、まずきちんとした日本語(母語)を身につけることが大切だと思う。


発達心理学で学んだことだが、豊かな考えや論理的思考というのは、言葉の習得とともに発達するものである。言葉はコミュニケーションの「手段」である以前に「認知」そのものである。
物事を的確に捉え、判断し、自分なりの筋の通った考えを持つことがまずあって、それを伝えたいと思ったときに「手段」としての言葉が必要になるのである。
それまでは内面を育てることが大切であるから、「手段」としての言葉は母語があれば十分である。また、母語を育てることで内面は成長するのである。




■今の英語教育は、ことさらに会話中心だけれども…


 確かに私も英会話の得意な人には憧れる。
しかし、学習指導要領で言われる「実践的コミュニケーション能力」には疑問がある。


私が中学生だった時の教科書もそうであるし、(塾講師のアルバイトをしている関係で目にする)現在の中学校教科書ではなおさら、殊更に会話が重視されている
各課は文法ベースで組まれ、例えば中1ならLesson1〈一般動詞の肯定文/疑問文/否定文〉、Lesson2〈名詞の単数/複数、Wh-疑問文〉、Lesson3〈三人称単数現在形〉、Lesson4-5〈be動詞〉、Lesson6〈主語が複数の文〉……といった具合に学習が進んでいく。


しかし、この本の冒頭部で指摘されているように、ハンバーガーショップでのやり取りとして”For here or to go ?”などという極めて口語的な表現が突然出てくるのである
このような表現に出くわしたとき、まだorもforもtoも習っていない中学生に「何でこう言うの?」と聞かれても、「ネイティブはそう言う」などと誤魔化し、丸暗記をさせるしかない。確かにアメリカに旅行してハンバーガーショップに行った時には役立つかもしれないが、それ以外にどんな応用ができるのだろうか。