今回は、前回9月6日の18時半ごろのブログで紹介した本
『日本語力と英語力』 齋藤孝、斎藤兆史・著
2004年 中央公論新社 (新書)
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について、私自身の感想や考えを書きたいと思います。
今回は分けたうちの3回目です。
【注意】
あくまでこれは私個人の意見です。
「ことば」というものに魅せられて、大学で英語学を学んでいる一大学生としての考えです。
ただ、感覚や感情だけでものを言っているのではありません。学部レベルではありますが大学で理論も学んでいますし、ほんの数年ではありますが塾講師のアルバイトや学習支援のボランティアなどを通して生の子どもたちとも触れ合ってきました。
考えや表現に稚拙な面もあるかと思いますし、また反対の意見をお持ちの方もいらっしゃると思います。不愉快に感じられる方もいらっしゃるかもしれません。
それはそれで結構です。
だだ、批判のメッセージなど頂いてもお返事する余裕がございませんのでご了承ください。
また、この原文は2007年8月に、当時大学2年生だった私が書いたものです。
従って、時代の流れの影響を受ける事柄には少々古い内容も含まれています。
長いので、3回に分けて更新したいと思います。
今回は3回目最終回です。
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■生徒皆が「先生」になる学習法
齋藤孝氏が中学校の授業の中で実践している方法に、「先生増殖方式」というものがあるそうだ。
3、4人のグループを作り、交互に先生役になってグループ内の他のメンバーに覚えたことを教える、というものである。
従来の学校の授業といったら、先生が一方的に話し生徒は黙って聞いているだけ。これでは主体的に先生の話に耳を傾け、メモをとり、理解しようという気にはならない。
ところが「先生増殖方式」では、後で自分が先生の言ったことを再生して発表しなければならないので、一生懸命ノートを取るようになるそうだ。
生徒が前を向いて椅子に縛り付けられているのではなく、積極的に活動できるような授業は望ましいと思う。
(私が高校2年時にお世話になった英語の先生の指導法はこれに通じるものがあった。)
■まとめ―中身の濃い「英語」を
この本で英語の勉強法として言われていたのは、古典的な学習法に回帰せよ、ということであった。
薄っぺらな英会話のできる人ではなく、中身の濃い英語が使える方が重要だということだ。
それには、話し言葉より書き言葉、である。
最終章『21世紀の「英語達人」のすがた』では斎藤兆史氏が「これまで世界を感動させてきた日本人の英語は、全部、書く英語です。」と述べている。
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ここまで読んでくださった方、ありがとうございます。
この本を読んで私が感じたのは、
今まで漠然と「英語ができたらいいなー」と思ってきたけれども、
目標はただペラペラと話せることではなく、
複雑な思考や論などをきちんとした英語で的確に表現できるようになることだと、
改めて認識させられたなぁ、ということです。
この原文を書いて早2年ですが、初心に帰って頑張りたいと思いました。