先日、新聞に伊丹万作さんの「戦争責任者の問題」というエッセイのことが取り上げられていました。

とても興味をそそられたので、そのエッセイを探してさっそく読んでみました。


終戦後、多くの国民は、上から騙されて戦争に加担してしまった と 自分たちはただ騙されただけ、という雰囲気になっていた。そこに伊丹万作さんは鋭く切り込んでいます。



 だます者だけで戦争はおこらない。あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切を委ねるようになってしまった国民の文化的無気力、無反省、無責任などが悪の本体である。



以前こんなブログを書きましたが

https://ameblo.jp/mihuyu2020/entry-12759146740.html

この時私の言いたかった答えがここにある、と思いました。



 だまされた、とさえ言えばいっさいの責任から解放され無条件で正義派になれるように勘違いしている人は、もう一度よく顔を洗い直さねばならぬ。



と、だまされたから仕方ない、などという考えを許さないばかりか、


 だまされるということ自体がすでに一つの悪である


とまで書いています。

だまされるのは、知識の不足、意志の薄弱なのだ、と。


おりしも、闇バイトというものにだまされたらしい若者が白昼堂々強盗をする、という事件がありました。これを見て、だまされたから仕方ない、と思う人はいないでしょう。

だまされて戦争に加担してしまった、というのも同じ図式のように思います。


そして今も、社会を見渡すと、あらゆるところにそんな騙しがあるように感じます。

騙す方が悪い、けれど、騙すというのは騙される人がいて始めて成立する事でもあります。


批判力を養い、思考力を養い、信念を持ち、誰かに委ねず自分をしっかりもって生きる。


騙しは今も私たちの周りにあふれています。

知識を持ち、自分の頭で考え、しっかりとした意志を持たなければ、だまされる罪を負うことになるんです。


善良な大衆に紛れて考えることを放棄するのではなく、みんなが自分で考え、責任を持って判断する、そうすれば社会が変わるのではないか、そんなふうにも思います。