昨日のブログにいただいたコメントを読むうちに、もともとの芭蕉の句


 猿を聞く人 捨て子に秋の風いかに


が、また違った意味を持って、もっと深い感じがしてきました。


https://ameblo.jp/mihuyu2020/entry-12703344140.html

以前はこんなふうに思っていましたが、


猿を聞く人


それは今でいう、見ず知らずの人の報道のようなもので、見知らぬ人が赤ちゃんを産んで捨てた、そのニュースを見て、赤ちゃんがかわいそう、と悲しい思いをしている人。それは前回のブログでも書きましたが、


捨て子に秋の風いかに


の方がちょっと違ってきて、捨て子、はその人のすぐそばにいる子どもたち。秋の風ってちょっと寂しくて寒くなってきていて、そんな孤独を感じている子どもたち。


見ず知らずの赤ちゃんのニュースに悲しんでいるけど、あなたの周りの子どもにちゃんと愛情を注いでいますか、淋しい思い、悲しい思いをさせていませんか、と、そういうことではないかと。


そして、この

https://ameblo.jp/mihuyu2020/entry-12654583593.html

フロムの言葉


 見知らぬ他人を愛せない人に、本当の意味で子どもを愛することはできない


子どもを愛することのベースは人類愛、を重ね合わせてみると、猿、という言葉もさらに際立ってきて、口先だけでかわいそうだとか言うより、自分の周りの人を愛し、人類愛で世の中を満たしていくことが大事、ということかな、と。そうすれば、誰からも愛されずに捨てられるなんていうこともなくなるだろう、と。



なんだかぼんやりとした感じで書いたブログに、投げ返してくれるコメントで、形がはっきりしてくることがよくあります。とてもありがたくて、嬉しいです。これからもよろしくお願いします。