今日は娘の誕生日です。もう本人は社会人になって家を出ていますが、朝、おめでとうのLINEをしました。今週末は帰ってくるとのことで楽しみです。


子どもの誕生日はいつも、その子が産まれた時のことを思い出します。娘の時は初めての出産でしたが安産で、安産すぎて子宮の収縮が出産後も続き出血が止まらなかったので、それはそれで大変でした。


子育ての最中はいろいろあったものの、振り返ってみれば楽しかった、と思える貴重な時間でした。


今は、子どもを持たないという選択をする人も多いし、そういう人生も楽しいのだろうと思います。それに比べると、子育ては割に合わない苦労が多いのかもしれません。


子どもなんて思い通りに育たないし(思い通りにしてもいけないですが)、反抗期もあるし、お金も世話もかかるし。いろいろな悩みも多いものです。

それでも、いつしかそんな苦労を引き受けられる自分になっているんですよね。

子どもって親を鍛えるためにきたのかとすら感じます。


私は、2人の子どもがいますが、それぞれ全然違う個性を持っています。同じ遺伝子の組み合わせでも、こんなに違うのか、と思いますが、私にはこの2人の先生が必要で、2人に鍛え上げてもらわなくちゃいけなかったんだろうな、と感じます。


私を鍛えてくれた娘も、その役目から解放されて今は一人暮らしで頑張っています。時々帰ってくる娘はもう、私が育てていたあの子ではないような気がします。成長した、というより、元の姿に戻ったような、私が育てていた間は私を鍛えるための仮の姿だったようなおかしな錯覚にとらわれたりします。


そして…きっと今戦争で悲しい状況の人々、ロシアやウクライナの兵士の中にも今日が誕生日の人がいることでしょう。誕生日は、親にとっても特別な日、数年前に産まれた我が子が殺しあいをしなくてはいけないなんて、どんな思いでいるのかと思うと辛いです。

誕生日を皆が笑顔で祝える世界を、と願わずにはいられません。