苦は楽の種

 

 苦あれば楽あり


 若い時の苦労は買ってでもしろ


 継続は力なり



子どもは放っておくと楽な方に流されてしまうのか、というコメントをいただいて思いついたことわざ(?)です。


これ、自分自身を納得させるために使うならいいですが、人に使ってはいけないのではないかと思います。


子どもに幸せになってほしい、その幸せとは楽であり、楽の種が苦労なら、子どもに苦労させなくちゃ、とかわいい子どもに苦労ばかりさせている。なんかおかしい。


自分が思い定めた方へ向かって歩く苦労ならいいけれど、漠然とした楽のために漠然とした苦労をさせられては子どもは疲弊するばかりなのではないかと思います。


若い時の苦労は買ってでもしろ、と親は子どもに苦労を買い求め、苦労を買うために親も苦労して、何がなんだかわからなくなっているような気がします。


継続は力なり、と子どもの教室にも掲げられていました。努力は裏切らない、とも先生は言ってました。とにかく努力をし続けろ、ということでしょうか。


競争社会の中で楽を求めるのに、たくさん苦労した方が勝つかのように苦労までも競争して、子どもの負担はだんだん重くなり、実際の通学カバンもうちの子どもの頃には馬鹿みたいに重くなっていました。



 やり過ぎは何もしないよりまだ悪い


と言ったのは徳川家康ですが、いくら楽の種でもやり過ぎては悪い結果にしかならないと思います。楽の種であるはずの苦労に耐えきれず、命を絶っては元も子もないではないか、と。


なぜ頑張るのか、その努力は、その苦労は何のためでそれは正しい方を向いているのか。


大人の方こそ、そういうことを考える苦労を放棄して、子どもに苦労や努力をさせておけば安心、と楽な方へと流れているのではないか、と思ったりします。