宇多田ヒカルさんが、ノンバイナリーだとカミングアウトした、という情報に接し、ノンバイナリーって何?と読みすすめると、これってもしかして…


https://ameblo.jp/mihuyu2020/entry-12677813993.html


以前、私もカミングアウト(?)したこういうことなんじゃないですか?


これってノンバイナリーという名前があることだったの、と驚きました。


でも、何かちょっと違和感も感じます。


同じようなことを感じている人には親近感を感じて嬉しいけれど。こういう思いも理解してほしいとは言ったけれど。


ノンバイナリーというラベルで分類されるのも何か違う気がします。ノンバイナリーという仲間が急にたくさんできても、なんか居心地が悪いです。


ノンバイナリーと分類されることで、ノーマルから外れたような感じがします。ノーマルって何、ってことにもつながると思うけど、これしきのことに名前をつけて異質なもののように扱うこともないのではないか、と。


LGBTもそれ以外のもののアルファベットがどんどん増えて私はもう覚えられないけど、それもノーマルの範囲でいいじゃない、と私なんか思ったりもします。人を好きになるのに性別にとらわれない人もいて、生物学的な性別に違和感のある人もいて、そういうことをことさら細かく分類しなくても、そういうこともあるよね、と理解すればいいんじゃないのかな。


多様性とか個性とか、みんな違ってみんないい、とか言いながら、その違いにいちいち名前をつけて分類していくなんて、結局差別や排除につながるような気がします。


そういう名前がつくことで自分だけじゃない、と救われたりする人もいるだろうし、そういうことの理解がすすむということもあるので難しいところですけど。


私は自分がノンバイナリーなのかどうかよくわかりませんが、私にとってはどっちでもいいことです。

ただ、あのブログを書いた時にそれを理解しようとしてくれたり、別に あなたはあなたでいい と寄り添ってくれたりするコメントをいただきましたが、結局そういうことなんだと思います。

こういうことをわかってほしい、ということをちゃんと受けとめてくれる人がいる。それが大事なことだと感じます。