マレーシアでADHDの子を含む3人の子育てをしています。

長男アル(ADHD診断済み 18歳。マレーシアのブリティッシュ系ボーディングスクールに在学)
長女ひな(Sharp tongue と先生に言われてしまう辛辣な妹。ゲーオタ気味。16歳。マレーシアのブリティッシュ系ボーディングスクールに在学)
次男リリ(発達状態要経過観察と日本で言われたけど無視してる。6歳。日本語と英語なら日本語が好き)
夫(日本のサラリーマン。自分勝手な妻に理解ある夫)
の家族です。




殆どツイッターはやっていない(学校の鍵付きアカウントを見るために作ったアカウントです)のですが







「わたしが障害者なのはあなたのせいです」
と言われたら…


多分、殆どの人はびっくりするでしょう。



でも、自画自賛?ですが
私のブログに何度か来てくださってる方なら

「本当にそうだよね!!」

と思ってくださるのでは無いかな。


「生きづらさ」があるときに
「障害」になるのであって
生きづらさが無いのであれば障害では無いんです。





この方と「障害」の内容は異なりますが

私のADHD長男アルは、日本では生きづらかった。


でもマレーシアならそうでもないんですよね。





社会がADHDでも困らない仕組みなら
それは障害では無いんです。



先日、アルの進路相談に行きました。




「アルはADHDで予想外の事態が起こるとパニックになる。
環境変化に弱いです。
私はそこを心配している。
だから、彼が困ったら手助け出来るように、私の近く、つまりマレーシアの大学に入れようと思います」



そうすると。
…話が全く通じないんです。



「この大学も良い大学ですよ」
「他にもこんな大学がありますよ」



全部、イギリスの大学なんです。


いや、だからわたしが手助け出来るようにマレーシアの大学に入れようと思ってるんですけど、と言うと、しばらくして…


「ADHDの手助けくらい、イギリス中のすべての大学でやってくれるけど…」
「あなたじゃないと出来ないことは何??」
と言われたのです。



「アルならどこでも大丈夫。
彼より重度な○○(別の障害)の子にも勧めたのだけど、イギリスの中でも特に手厚いのはK university。
そんなに心配なら、そこはどう?
私たちボーディングスクールと同レベルにサポートしてくれるよ」




…わたしもまだまだだな、と感じました。



マレーシアが特別なんじゃない。
ADHDごときを「障害」と言ってるほうが世界的にはマイノリティなのかも。




「私は勉強がしたかった」
そんな特集を見かけたり
成績が良いのに支援級に通わなければならない子がいる日本。

それは世界的には「当たり前」じゃないんです。




繰り返しますが、ADHDの特性は生まれ持ったものです。

ですが、それを「障害」にしているのは社会です。




「アル君は空気読めない障害を持っている」
んじゃなくて
「空気読めない人が生きづらい社会には障害がある」
んです。



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