ちょっとぞっとするようなタイトル、ヤフーのTOPページのニュース欄の見出しでした。


元JWなら、ちょっと違う意味でも反応してしまうかも。


「人を裁いてはなりません。」


裁くのは神だけ、と聖書のどこかで書いてあると。




何にも事情を知らない赤の他人を裁くということを


一般人の素人に任せるのか。


その法律の目的って一体。。。


将来陪審員の番がまわってくるようなことになってしまったら、


正確、的確といえる判断を人間ができるのか。



完全な審判はできないとしても、前例に基づく判断、事実として提出されている証拠を


赤の他人がどう裁くというのかと思うと、そら恐ろしいような気がする。



もともと、どこまでが範疇なのかはわからないけど。。。


とにかく、ちょっと気になったタイトルだったのでぎょっとしちゃいました。


目覚めよとかの表紙みたい。


最近のMSNのTOPニュース欄のイラストとか挿入写真もなんだか


ものみの塔の表紙とか、目覚めよチックに見えてしまう。


年金がらみの記事でお金を握りしめるおばあちゃんの写真とか。。。



JWのやり方って人にインパクトをあたえようとする点では長けていてるのか、


ちょっと油断したら、惑わされてしまうアブナイ宗教なのは、事実だけど。



プロパガンダ的な、なんていうか、そういうの。



どっちつかずの中途半端な立場ではいられないものなのかなぁ・・・


スイスみたいに。








たまたまこないだTVをつけたら、金八先生がやっていたので、懐かしくなって見ていました。


その中のあるシーンで自分の痛い過去と重なる画面が瞬間的に目の前に・・・。




父親の飲酒によるDVで苦しむ母とその回の主人公の生徒と妹が、


父の寝ている隙に逃げ出そうとしているある場面。


・・・



「早く、急いで、」とお母さん。


「でも俺は行かない」、と生徒。


母「車が迎えに来てるんだから、早く!」


生徒「いや、俺は行かない・・・。」



「じゃあ、これで何とかしなさい」そういってお母さんは多少のおこずかいを渡す。


「また迎えにくるから。・・・」そういって寝ている父親に気づかれないように


そっと玄関を出て行く。そして生徒は取り残されて父親と二人に。。。



・・・



DVとは違えど、私が幼い頃、父が仕事から帰って来て、


一杯している隙を計らって、こっそり母と抜け出して迎えに来てくれた兄弟の車に乗って出かけていった


遠い自分の記憶が蘇り、つい涙しちゃいました。



最初は何を思い出したのかもわからず泣いてしまったけれど


よくよく思い出せば、集会に行くためのあの一場面でした。



父が帰る前に食事の準備を全て済まして、なるべく父の怒りを買わないようにつとめていた母や、


父に叱られるから、と家に残る弟。


弟は小学校低学年からずっと何年も、イライラしている父のお酒の相手を


集会に行っている時間、ずっと付き合わされていたのでした。後から聞けば、


弟への八つ当たり様はひどかったようです。





「集会に行ったから、何が得られたの?○○(私の名前)は。」と父。



小学校の私なりに証言しようとして父に


「さわやかになるんだよ、みんないい人たちだから、大丈夫だよ、お父さん」


なんていってなだめようとしても、収まるはずのない父の怒りを今思うと


居た堪れなくなってしまいます。


ごめんなさい。お父さん。。。あの頃はきっと私はまっすぐだった。でもそれはお父さんの


思う方向と全然違ったね。





中学2年の頃、父は単身赴任で家から車で3時間はかかる県外へ離れて住むことになりました。



まず思ってしまったことは、集会に行くたびのあの心痛がなくなって、やっと気楽に行ける!


羨ましく思っていた神権家族に近づけた、ということ。



その時はそれほど、家族内のいざこざが気を病んでいました。




それでも私は会衆で有名なほど、父好きで父思いでした。


父の平日の晩酌はいつも私が最後まで付き合って、



しらふで酔える私は母が寝てもよく父としゃべって、母に二人とも早く寝なさい、と叱られていたり。


何かあるたびに父に手紙を書いていつもの感謝の気持ちを伝えるようにしていました。





本当は、父は優しい子供思いの普通のお父さんでした。


そしてその私が何年も前に書いた3枚の手紙が、最近父のお財布の中に入っているのを見かけたときは


胸が痛くて痛くて後で隠れて泣きました。




今年、父の定年が近づき、10年以上続いた単身赴任生活がやっと終わり


母のいる実家へ戻ることになりました。



集会や何かがあっても、1ヶ月に一週間は必ず父のいる家へ行き、


掃除洗濯の家事を手伝い、毎日欠かさず電話をしていた母の努力のせいか、


だんだん父の心配も和らいで、お互い毎日電話をするようになっていましたが、


来月からやっとずっと父が家にいられるようになったので


老後位は、二人とも少しは落ち着いて過ごしてほしいと願うばかりです。



でもまたその両親に一番心配をかけたくないというのに、JWだったことやらいろんないざこざで


なかなか良い報告を出せない、情けない私の居所のなさ。


いくら今、一人暮らしをしているなんていっても



思えば弱音ばかり吐いて、昔の自分を忘れていて、仕事で疲れきって気がつけば泣いています。



何があっても、弱音をはかずに、父に良い証言を・・・と思っていたあの頃。




良い証言、っていったい何のためだったのかと思えば、


本当はきっと父への普通の感謝の気持ちだったのかもしれない。




その子供の頃の純粋な気持ちを手元にまた取り戻せたら。



今からでもまだ、間に合うのかな。


父がまだ、元気でいるうちに・・・



集会に行かなくなって、なんだかんだ、2年経過。

今のところ、戻る予定一切なし。

ただ、学生時代から親しくしていた友人達がちょっと気がかり。

でもまずは自分を見つめる時間を持ちたい。

ゆっくりゆっくり、今まで日常に忙殺されてきた、
心の奥底に眠らせておいた過去を振り返りつつ、わが身を直そうと思います。





いつか心地よく笑って振り返られる時がくるそのときのために。


続く