たとえばね、
だいすきな異性に、
身近なひとに、
パートナーに、

なんでもやってもらいたい、
なんでもきめてもらいたい



でね、
やってもらえる自分は、
愛されてる。
好かれてる。
大事にされている。

やってもらえない自分は、
愛されてない。
嫌われてる。
必要とされてない。

っておもってないかなー?




↑これ!勘違いだよ~!!!




やってもらっても、
やってもらえなくても、

きめてもらっても、
きめてもらえなくても、

「あなたの価値には、
関係ないよ!」

どんな自分でいたって、
最高なんだよ!価値があるんだよ!
息してるだけで、じゅうぶんなんだよ。
ただそこにいるだけで、最高なんだよ。
うまれてきてくれてありがとうなんだよ。




やってもらえる=愛されてる
やってもらえない=愛されてない



ここをリンクして考えてるとさ、
ついつい、
無意識のうちに、
相手をためしちゃわない??


これやったら、
これ言ったら、
どーなるかなー??

から、はじまって、

よし、これがおっけーなら、
つぎは、これ、言ってみよ。
これ、お願いしてみよ。


…これも、おっけーなんだー!
私愛されてる…ふふふ 



でも、その愛されてる感は、
一瞬で消える。



うけとってるようで、
実は、愛を受け取れてない。
まるで、ザルのよう。



だからね、
じゃ、つぎはこれ…


つぎは、これ…


って、どんどん要求が高まる。
それが、本当の思いだったら、
そんな風に自分を出せるって
すてきなことだとおもうの。


でもね、
愛されてる証拠がほしくて、
試してるとね、

どんどん、
愛される証拠なくなっちゃうよ。

愛されなくなってっちゃうよ。

だってさ、
「愛されてるか不安」な現実から、
その行動しちゃってるもの。
ということはさ、
「愛されてるか不安」なきもちが、
宇宙にオーダーされて、
それが叶っちゃうよ。


現実は、自分でつくってるからね。





では、
反対の立場で考えてみよう!

相手が、自分の愛を確かめるために、
どんどん要求してくるのよ。

自分が、その要求にこたえても、
にゅるっとスルーされるというか、
心のそこから喜んでもらえないのよ。

で、また、要求されるの。

非言語化された
「ねーねー、わたしのことすき?」
「ねーねー、わたしのこと大事?」
「それって、どのくらいすき?大事?」
「ちゃんと、証明して!」

を、どんどん受けとるイメージ。

なんか、これ、
どーーんっておもくならないかな??

↑私は、これまで
散々やって来た笑

そして、
無意識にやっちゃう気持ちも、
やらずにいられない気持ちも、
ものすごくものすごくよくわかるの。


こわいんだよね。


そういうふうにするしか、
愛を感じることができないんだよね。
愛を受けとる方法が、わからないんだよね。

いままでそうやって、
お父さんやお母さんからの愛情を
うけとろうと、がんばってきたのかもね。

みんなに、認められたくて
学校や職場や地域のなかで
一生懸命、完璧な自分でいたのかもね。

だからこそ、
だいすきなひとにくらい、
自分のすべてを委ねたくなるのかもね…


もし、
上にかいたことを読んで、
そうかも…っておもったら、


そのまんま、受け止めてみてね。

あ~そっか。わたし、不安なんだな~とか。
ためしたくなっちゃうのかもな~とか。


そんな自分をせめてたら、
自分が悲しむよ~。
なおそうと、
我慢したり頑張る必要もないよ~!


まずは、その不安を
受け止めることからはじめてみよう。

自分への扱いはね、
他人からの扱いとおなじなの。

だからね、まずは、自分を認めてあげて。
許してあげて。よしよししてあげてね。

安心感を与えてくれるのは
だいすきな彼でもなく
自分自身なんだよ。

たとえどんなに、愛されていてもね。