カエル姉さんのブログに書かれている、
「好きな人と結婚したい。」と、
おはなしした、美穂です😊


めぐりんのお話を聴きながら
「そうか~!
いま、わたしは、安心できていないんだな!
しかもそれを、
彼がいたら安心させてくれるとおもっていて、
自分一人じゃ安心できないと信じていて、
不安や不足感から結婚したいを願ってる。

そうか!!わたしは、
安心したいのだな~!!
自分で自分を安心させたいのだな~」

と、気がついたのです。


わたしのなかに、
「こわい。」「さみしい。」
「わたしを見て。」「わたしのこと大事にして。」
というおもいがたくさんあって、
それを、好きな人に埋めてもらおうとしていた。
↑これぜんぶ、自分が自分に言ってることだよね。

だから、彼が、
言ってほしいことをいってくれたり、
動いてほしいように動いてくれたら、
わたしは、ハッピーな気持ちになるけど、

彼が、彼の世界に戻っていったとき、
とってもとっても不安になる。
こわくなる。さみしくなる。
彼をコントロールしたくなる。
彼を独り占めしたくなる。

そんな、自分にきづいてるのだけど、
そことむきあうのが、こわくて。
「こわい。」や、「さみしい。」を、
感じるのが「こわい」から、
なんとなーく感じたつもりになって、
無意識的に感じきらないようにしていた。


感じきったつもりになってたとき、
わたしは、「不安」「さみしい」「こわい」
が、でてきたときに、
共感するんだけど、
共感するよりも、
「何でこう思ってるの?」とか、
「いや、こうだから、大丈夫だよ。」とか、
その感情の原因を探ったり、
自分に言い聞かせるようなことばを使ったりして、
一番大事な第一段階(共感)を、
さらっと流してた。

だから、いまいち感じきれないし
腹をくくることもできなくて、
いつまでーも、何回も何回も、
もやもや、
いらいら、
こわい、
さみしい、
彼がいなくなったらどうしよう…
彼が他の人のところにいっちゃったら…
彼と離ればなれになっちゃったら…
って、不安になってたんだ。

で、その、
上にかいている「彼が」が、主語の部分を、
「わたし」に、かえてみると、しっくりくるの。

「私がいなくなったらどうしよう…
「私が他の人のところにいっちゃったら…」
「私と離ればなれになっちゃったら…」


「そうか!
私は、私と繋がりたいんだ。」

=今は繋がれてないから、
不安なんだよね。
彼に、安心させてほしいんだよね。
=結婚したいなんだよね。

ってことだったんだよね。

めぐりんのお話を聴いて、
そのあと、
ねちゃんのカウンセリングも受けて、


「こわいも、さみしいも、受け止める。」
「その都度その都度、赤ちゃんをあやすように、
自分の感情受け止める。」と、決めたの。


受け止めるって、
とにかく、ただただ、その感情を
感じるの。共感するの。

感情にいいも悪いもないからさ、
「いま、こわいんだね~。こわいんだね~。」って
その気持ちに共感する。

それでね、昨日の夜から、
それを始めてみたらさ、

ふしぎなことに、
「こわい。」も「さみしい。」も、
わいてはくるんだけど、
安心のなかにあるの。


「いつでも受け止めるよ。
いつでも、
こわいもさみしいも、感じていいよ。」って、
「こわい。」
「さみしい。」を、
受け止める覚悟が自然と決まったらさ、
昨日の講座の前までの、
ざわざわ感がパタンととまったの。

今日はね、
自分にとってバンジーをとんだ日で、
このひがくるのがすごくこわかったの。
だって、「こわい」「さみしい」の
すごいやつが、やってくるんだろうなって、
思ってたから。


でも、現実はそうじゃなかった。 

自分の心のあり方や、
自分の現在地がわかったら、
不安もさみしいも、こわいも、
そもそもこわくないってわかったんだ。
そこに、いいもわるいもないんだと。



昨日の夜から、
わたしのセンサーでもある、背中まわりに、
ぼわーんと、暖かさが広がっている。

自分と繋がる、
自分の感情をジャッジせずに、
受け止めるってこういうことか!!
と、実感しているし、

この積み重ねが、
安心に繋がるんだよね。


今回の講座もすごくすごく楽しかった。
めぐりんのお話聴いてると
なぜか、涙がでてくるの。

これ、本当に知りたかった!って、
自分がすごく喜ぶんだ。
来週のミーティングも、
ドスピツアーもたのしみすぎる。