3Dネイルアートの名付け親☆2 | 木下美穂里OfficialBlog Powered by Ameba

3Dネイルアートの名付け親☆2

昨日の続き、、、

1995年 ある日
ネイリスト協会がスタートした直後
我々、若手(当時20代!!)が招集され、
初代ネイリスト協会教育委員会が、
立ち上がったにこハート

北村
田中
萩原
そして、
私、木下は日本全国へ
ネイルセミナーに回ったきらきら!!きらきら!!きらきら!!
もちろん、広める技術は
アメリカから、やって来た
アクリルのスカルプチャードネイルきらきら!!
と、進化したネイルケアきらきら!!きらきら!!

が、

何処に行ってもアクリルで、
行うスカルプチャードネイルは
美容の技術と言うより
マジックに対するリアクションにこあい

材料は、アメリカからのハンドキャリーにこ
イベントに呼ばれると
占いコーナーと一緒涙的な
ビューティーな感じじゃなかったダウンダウンダウン

まだまだ、皆が
ネイルとか、ネイリストなんて
言葉も技術も知らない時代音譜

そこに
男性ネイリストのはしり
薄井くんが、参加ハート

藤原先生の指示の下
日本初のネイルのテキストの作成の
指示が出るすまいる

ケア
イクステンション
アートの三部作ハート

今でも
この時のネイル技術体系が
日本のネイル技術の柱になっているきらきら!!
ひいては、日本からネイルが伝わって行ったアジアの各国の柱となっているハート
最も、当時の私達に
そんな大それた自覚はなしきらきらあい
ただ、使命感に燃えていたメラメラメラメラメラメラ

わたしが、ネイルを学ぼうとした時
学校も、動画も、テキストも無かったあい
わざわざアメリカに行き
アメリカの展示会で、クラスルームに通い貪欲に学んだ。
で、日本向けにアレンジアップ
アメリカのままでは、日本に
受け入れて貰えないのは
分かっていた青スジ

だから
私達の後についてネイルを学ぼうと
思う後輩達の為にも、
テキスト作らなきゃ!!
な、感じハートきらきら!!きらきら!!

若手に任せた藤原先生も凄い!!

さて、次に出された指令は、、、ハート

続く、、、