こんばんは⭐️

20年前、生死をさまよう大事故に遭い、
高次脳機能障害に戸惑いながら、
日々チャレンジしている
整体セラピストのMI•HO•KO です。


初めての方は、こちら


9/1に、書籍を出版し、ご縁があり、
に掲載させて頂きました。

西広島タイムスWEBサイト⇒こちら



1ヶ月の掲載期間なので、こちらに転載
しておきます。

《西広島タイムスより、記事
転載》



夢と希望を抱いた留学先で交通事故に遭い40日間意識不明になった25歳の女性が、新しい人生を見つけるまでを執筆した「事故から始まるAnother Life やっとつかんだMy Life」。著者のMI•HO•KOさんが、事故からの20年間をノンフィクションでつづっています。

「命があって良かった」というきれいごとで済まない、退院し後遺症と共存する死にたくなるような現実。留学前と180度変わった自分を受け入れなければならない葛藤を、本人や夫、家族の視点から書き下ろしています。

本の出版にあたり、MI•HO•KOさんにその胸中を聞きました。

留学してわずか16日後。事故で意識不明に

英語が大好きで、「子どもたちに英語の楽しさ、面白さを伝えたい」と教師を目指していたMI•HO•KOさん。教員採用試験に2回挑戦するも通らず、自分の英語力をもっと高めようと留学を決意しました。家族は心配のあまり反対したため、留学先のカナダへの手続きなどすべて自分で調整。日本を飛び出し、目に映るもの全部が希望で輝く異国の地に降り立った、そのわずか16日後の事故でした。

「事故では死者も出ました。後部座席にいた私は衝撃で車外に放り出され、頭を強く打ち意識不明で病院に運ばれました」(MI•HO•KOさん)。


事故直後のMI・HO・KOさん↑↑↑



冒頭に書いたように、事故から40日間、MI•HO•KOさんは意識不明。その間、MI•HO•KOさんに起こったことは、家族がノートに記録していました。「カナダからの連絡を受け、急いで駆けつけてくれた父が到着したその日からしたためた日記があります。きっと、書くことで動揺を落ち着けたのだろうと思います」。



事故を報道した当時のカナダの新聞記事↑↑↑



MI•HO•KOさんが病院でどのような治療を受け日本に戻ってくることができたのか。著書には、事故直後の様子を、家族、友人、当時交際中だった現在の夫、それぞれの視点で振り返っています。

生きる希望を失いかけたとき

MI•HO•KOさんは著書の半分以上にわたり、退院後の新たな人生を模索し歩み出すまでの葛藤を書いています。

事故の後遺症で外見は、右の黒目が端に寄ったままになり、首には気管切開後の赤い傷跡が残る状態。外出はサングラスと首に巻くスカーフが欠かせず、歩行もゆっくり。25歳のMI•HO•KOさんは、かわいいメイクをして流行りのファッションを身にまとい、ハイヒールで颯爽と目の前を通り過ぎる同世代の女性を見るたび、自己嫌悪に陥りました。


事故後しばらくは後遺症で右の黒目が端に寄ったままだった↑↑↑


「右目が寄っているため視界が複視でまともに動けず、家族にも迷惑かけている状態。リハビリの病院の行き帰りに何度も飛び降りようと思いました。そしたら楽になれると…」。

本の表紙の写真は、MI•HO•KOさんが幾度となく身を投げ出そうとした歩道橋。「ここから見えるきれいな景色が複視のため木々もビルもぐちゃぐちゃ。まるで、これからの私を待ち受けている人生のようだといつも思っていました」。

絶望の渦中でも命を絶つことを踏みとどまったのは、MI•HO•KOさんの中にわずかに残った「このままでは終わりたくない」という希望でした。

「夢を叶える未来に胸がいっぱいだった留学前の自分に戻ることはできない。でも、人生を悔しさだけで終わらせたくない。もう一つの人生を見つけてみせる」。

後遺症と共存する人生のスタート

事故の後遺症は外見だけでなく、頭を強打したことによる高次脳機能障害もありました。記憶障害、注意障害、感情障害、遂行機能障害などを抱えながらの生活は、社会復帰への道を遠ざけていきました。

「できる仕事がない」と悔しさを感じたMI•HO•KOさん。しかし、後遺症があるとはいえ普通の会話程度の英会話力が残っていることに気づき、通訳ボランティアから始めると決意。大好きな英語を使って、社会復帰への第1歩を踏み出しました。

変化を受け入れる生き方
現在のMI•HO•KOさん

大好きな英語にまた携わろうとしたMI•HO•KOさんを待っていたのは、事故の後遺症による挫折、フラッシュバックなど、さまざまな”自分との戦い”でした。挫折を味わうたび、MI•HO•KOさんの気持ちは波を打つように上下に揺れ、「生き残ったのだから頑張らなきゃ」という呪縛に苦しみます。

今の人生に至るまで、その時の自分が受け入れられる小さな変化を見つけ続けてきたMI•HO•KOさん。著書「事故から始まるAnother Life やっとつかんだMy Life」にまとめています。

現在、MI•HO•KOさんは整体師として活躍。「事故で体の不自由を味わった自分なら、人の痛みを理解し寄り添うことができる」と、心を込めて丁寧に施術します。

事故で新たな人生を始めざるを得なかった経験から20年がたった今だからこそ、本を手に取った人に伝えたいことがあるそうです。

「自分のことを諦めていたらずっと変わらない。”今”の全部が、変化の積み重ね。立ち止まったら、何でもいいから、小さなことでもいいから、怖がらず周囲に相談しながら自分の変化を見つけ出し受け入れてくださいね」。

MI•HO•KOさんの施術を受けた人の感想。「後遺症があっても、人に喜んでもらえる仕事ができます」

MI•HO•KO  
1976年、広島県生まれ。25歳のとき、留学先のカナダで事故に遭い40日間意識不明に。後遺症で高次脳機能障害が残るも、退院後はリハビリをしながら通訳ボランティアとして社会復帰。その後、留学前からの恋人と結婚し、移り住んだ神奈川県で作業療法士を目指すも挫折。整体師の資格を取得し、妊娠・出産後、整体師としてリラクゼーションサロンに勤務。広島県に戻り、現在に至る。2022年9月、初の著書「事故から始まるAnother Life やっとつかんだMy Life」を出版。

事故から始まるAnother Life やっとつかんだMy Life

2022年9月発行
著者:MI•HO•KO
発行者:瓜谷 綱延
発行所:㈱文芸社(東京都)

判型:四六判(128mm×188mm)
ページ数:228ページ



今回お世話になりました、(株)西広島

タイムスの沖野社長と編集部の山縣さん。

素敵な記事をありがとうございました😊


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