四年前、経験したことがないくらい怖い思いをした。

1回目は会社で、2回目の大きな揺れは会社付近の公園で。
地面ごと何かのアトラクションみたいに揺れて、あまりの怖さに泣きじゃくってた。

その時は東北がどんな状態かも知らずに、ただ『私は今日死ぬの!?』って思うくらいずっと怯えてた。

会社の社内履きで家まで歩いてかえって、お母さんと抱き合って泣いた。
怖かったねって。


今でも鮮明に覚えているあの大地震。
その日はもちろん、その後数日間怖くて家から出られなかったこと。
パンがお店から消えたこと。
紙類がなくなったこと。
テレビでみた東北が、まるで戦後の日本みたいだったこと。


朝とくだね!を見てたら、
あるお宅が四年前のまんまの状態で、それを見た娘が心配そうな顔で言った。
『あららだねぇ』

娘のあららっていうのは、酷い状態やなんかすりむいたとこなんかを指差してよくいう。

だから、娘に朝から話をした。
『娘っ子が生まれる前のことだからわからないよね?でもね、四年前の今日、あららよりももっと酷いあららがあったの。
地面がブランコみたいに揺れて、海からたくさんお水がきて、たくさんの人が死んじゃったの。
わからないよね?今はわからなくていいよ(^^)でも、わからなくてもいいから、今日午後になったら死んじゃった人達のためにお祈りしようね』

『怖い怖いだったねー。痛い痛いだったねー。お祈りする!』

この話をしたら、娘はそういった。
怖かっただろうな…痛かっただろうな…
2歳なりに話を聞いて思ったことだったんだろうな。

午後、娘とちゃんと黙祷しました。

去年も娘に同じ話をした。
これは毎年ちゃんと話していこうと思ってます。
母の田舎が福島で、私は悲しむ母を見たから。
私も福島大好きで、母と二人での思い出もたくさんある。そんな場所が姿を変えてしまって、悲しむ母を見たから、私は娘に話をする。
せめて、そういうことがあったって、大変なことがあったって伝えていくために。

こうやって、ちゃんと意図的に思い出して、自分の娘に話をしていく。
忘れないように、娘に天災が怖いこと、こんなに悲しいことが現代であったこと、ちゃんと伝えていかないといけない気がする。


3月11日。
たくさんの命が亡くなったこの日。
行方不明者も多数でたこの日。
亡くなった魂が安らかに、少しでも安らかに眠れますように。

そして、この日に生まれたこども達。
誕生日おめでとう。
たくさんの命が亡くなったけど、たくさんの命が生まれた日でもあったんだよね。


亡くなった皆様どうか安らかに…。

誕生日の皆様健やかに成長してね。