皆様、新年あけましておめでとうございます㊗️
今年も、どうぞ宜しくお願いします🙇
新年初の私の仕事は、昨日のお弁当🍱作りから始まりました
3日から、受験生なので塾が始まりました
頑張ってねの思いも込めての、お弁当作りとなっています。
ちなみに、今年のお雑煮は、みつぜ鶏とあごだしで作りました。
ところで、今日は4日。
待ちに待った、かかりつけの🏥がようやく開いたので、受診しました。
年末に、他の🏥で「帯状疱疹」と診断を受けて、体調不良との戦いでした。
強い頭痛
ゾクゾクする寒気や悪寒
あぶら汗やひどい寝汗
背中や肩や首が痛くて眠れない、横になっても痛い
急激に3キロ体重が増え、むくみが酷い
顔を下に向けるだけで背中や頭が痛い
目を開けていると眼底痛がひどい
と、帯状疱疹の症状とも似ているのです。
まず🏥で、血液検査をしてみましたが、炎症反応はなく。
帯状疱疹も、薬を飲み切っていたので、これ以上の抗ウイルス薬はのめません。
帯状疱疹の血液検査の結果は、どちらにしても日にちがかかるようです
先生が色んな結果を総合して考えた結果。
短期間に出てくる、帯状疱疹の発疹や、身体の不調は、どうも8割方はストレスや精神的な部分からが大きいだろうと、言われました。
かかりつけ医は漢方が主体の病院なので、漢方を飲んで、暫くベッドに横になって様子観察となりました。
暫くすると、また、別の漢方を飲んでまた、様子見。
トータル4時間近く、ベッドで様子を見てもらい。
結果は、やはり、鬱に近い症状が出ていると。
トラウマに近い、強いストレスを受けた覚えはないかと、尋ねられました。
よくよく考えてみると、実母が、私のトラウマに近いものがあります。
今回、20年ぶりに連絡をとりましたが、母と話をしたり、会うとなると、何故か億劫になる私がいます。
5歳の時に離婚した母と、2年ぶりに会いました。流れとしては、父方の祖父母の元を離れて、母が私を引き取って育てていくという流れでした。
母と再会した夜、母の元に知らない男の人が来ました。
私と、その人は話もせず、久々に母に再会した私は、初めての知らない場所、知らない人、知らない家で、不安でした。
母も、私にはあまり感心を示す事もなく、私は、1人で布団に入りました。
当時5歳の私は、まだ、祖父母と一緒に寝ていた頃で、母とはそんなものかと、期待していた自分を残念に思ったのを憶えています。
夜中目が覚めて、起きると隣の部屋にいた母はいませんでした。
母を探そうと別の部屋を探すと、男の人と母が㊙️やってました。
汚い言い方ですが、私の存在も忘れているのか、獣でした。
人間ではなかった
しかも、当時の私には、それが気持ち悪く感じてしまい、おぞましく汚いととってしまいました。
その翌日泣きわめき、私は、祖父母の元へ帰るといいました。
今でも、その映像、はっきりと頭に残っています。
私は、その時から、そういう行為は汚いと思うようになりました。
付き合ってたり、結婚などには、愛情表現として行為は付きものです。
私は、嫌でたまらない。喧嘩の原因や、離婚の原因はほぼ、私の嫌悪感にありました。
亡くなった主人は、下の娘さえ出来たら諦めると約束してくれて、娘が生まれて以降、15年という長い月日、私の意思を優先してくれて、一切そう言った行為はしませんでした。
もう一つは、長女や次女も小さかったし、私と同じ目には合わせたくないと、主人が気を回してくれました。
おかしな話ですよね💦
私の勝手な都合で、パートナーを振り回して。
ただ、母をみても、当時の記憶が蘇ります。
私が20歳ころ、母と再会しました。
母は、再婚していたので、私が「あの時の男の人?」と尋ねると、母は、
「余計な事いわんで!今の主人にその事言ったら、あんたを殺すよ!」と言われました。
その時に、この人は、母ではなく女の人なんだなぁ」と、感じました。
今回、病院で鬱に近いと言われました。私のトラウマやストレスってなんだろう?
どこから始まったのか、色々考えてみました。
亡くなった主人にしか話せなかった、5歳の時の気持ち悪かった記憶。
こんな情け無い話、ブログで話してみようと勇気を出してみました。
ただ、今回、母と再会して、末期ガンという事。
娘達に身内が欲しかった事。
人として、今自分が母親として、実の母を赦すという事も必要かも知れないと、自分に言い聞かせました。
何度も何度も。
もしくは、母が亡くなった後に、後悔しない理由が欲しかったのかも知れません。
ただ私自身にも、手放した実の息子がいます。
LINEで誕生日などのやり取りはしていますが。
いざ、自分がガンになったりして、色んな頼み事をしたりはしないだろうな、と、思います。
私の勝手な言い分ですが、母からは、母親という物を教えてもらっていません。
全ては祖父母でした。
母は、私の初出産の時は会いにも来ませんでした。
来てくれたのは、宗像に住んでる祖母でした。
腰を骨折し、退院した2日後に、電車できてくれて。私と赤ちゃんの世話をしてくれました。
初めての出産で、わからない事だらけの中、1カ月近く、祖母は身の回りの世話から食事の支度も。
母は会いには来てくれませんでしたが、母の再婚していた義父は、ちょくちょく気にして会いに来てくれていました。
母は、また、そこで私に文句を言う始末でした。
そんな母でした。
今、年もとり、病状も思わしくない母の事を色々言っても仕方ないですが。
ただ、自分の体は、自分で守らないといけません。娘達の事も大事だし。
心よりも、私の身体が母を受け付けていない今の現状です。
長々と、私の恥のような、トラウマ話を書いてしまいました。
長い文を読んで頂きありがとうございました。
ただ、ブログを書いていて、少し身体の痛みが取れました。