こんにちは。

 

今日はメイクして、髪をアップにして、散歩をしてきた。15分。あと、リビングを掃除機掛けた。そして、今、洗濯物が溜まってしまって、洗濯機を回してる。

 

縁ある人のこと、色々書いたけれど、私は、お仕事の管理者とボラという立場で出会ったので、そこを離れたら、一切関わりがなくなる。友達感覚で、連絡が来ることもない。自分の裁量で、ボラをしたければするし、したくなければ、曖昧な感じでいるぐらい。ボラ先は、ボラ募集してるけれど…純粋な会社の仲間という訳でもない。会社の内情を知る権利は私にはほぼない。

 

そんな話をずっとしてたのに、無神経なNさんに、「そういえば今日、ツインさんから連絡があった。そしたら○○(私)から連絡があって。」と普通に話す。ちょっとカリカリ来てしまったわ。もうNさんも、卒業かな…60歳手前で、未だにツインさんとやり取りして、既婚なのに、異性とカラオケも行ったりするという。盛りのついたメスのようで、みっともないと感じてしまう。子供も二人いるし、ご主人もいる。

 

私は、一時の熱情が、すっかり縁ある人に会わない間にトーンダウンしてしまった。あの頃は、自分の居場所が何もなく、家族さえ居場所にはならなかった。高齢の両親を二人抱えて、病気の兄も二人いて、お金もなく、ホント重苦しかった。その時に、私はボラしか居場所がない状態だったけれど、縁ある人には、冷たくあしらわれて、家で泣く事もあった。その後、コロナが起きて、縁ある人には、既読スルーで一線引かれる。

 

当時は拠り所がボラだけだったので、それを失った時、3年は放心状態で過ごして、周りの声は何も響かなかった。とにかくボラをしたいと、その一念だった。でも、その時間の経過の中で、ヨガやピアノに取り組んで、両親が亡くなって、主人とも、関わりを再構築して、筆頭だったボラより大事なものがたくさん出来る。

 

そんな最中、再び、ボラ先がボラ募集を始めるも、その頃には、もう自分の想いも変わってた。今、ボラをするとしても、この数年間、築いてきた手元にあるものを手放す作業をしないと、ボラは出来ないだろうし、今、そこまでしてボラをしたいとも思えない。ある意味、自然と拠り所があの頃より増えて、私はピアノボラへの執着を手放したんだろうな、と感じる。

 

ある縁ある人と出会った人は、仲間の中で、ずっと相手を応援してた、という。で、結局、独身だった縁ある人も、会わない間に結婚することになった、といって、その女性は既婚だったけれど、その相手がキッカケで、ボラ活動を熱心にするようになって、今やボラの団体の代表になった、という。縁ある人と離れて、自分の生活を大事にすること、そして自分の道を生きること、自分の気持ちを大事にすることを肝に銘じた、という。自分の身の回りの人を大事にすることと、自分の生き方を大事にすることを思った、というようなことを言ってたな。

 

正直、縁ある人は、仕事命の人で、私の持ってるスキルや資格は、縁ある人のお仕事上、好都合で、良いように使われて、振り回された。年に一回のお祭りで姿見るくらいなら良いけれど、それ以上の交流は、相手から何か言ってこない限り、私からは申し出ることは、もうないだろうな、と感じる。相手からしても、結局、重宝していたボラだったのに、既読スルーで関係を切って、相手から頼める立場でもないだろう。自分の求める距離で関われるなら、それぐらいが適当な距離。相手にも立ち入らないし、こちらにも深入りしないぐらい。