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適応能力をつけるにはリサイクルショップの活用が手っ取り早い
リサイクルショップで時間のある時にじっくりと探して
滅多に買わないのならば良いけれど
リサイクルショップなのであまり好みのものが出てこないので
延々と待つのであるため
途中で少し歪みのようなありんこ程度の穴みたいな若干の妥協をエイっとして買うので
お値段優先でありますし
そこで何がうまれてくるかっていうと
もう少し大きいと良いのに
もう少し小さいと良いのに
もう少し色がこうだったら良いのに
そんな若干の文句が出てくる
ところが私の購入していたリサイクルショップでの今はどうか知らんが
お皿一枚何十円という100円以下の世界なので
気に入らないからという理由を見つけて買いに行こうにも
定価だとスーパーだと100円300円ショップでも
高い
となるので
そうそう購入ができないのです
そうなってくるとこのもの達と暮らしていかなきゃならんわけで
それが積もりに積もってなんとか適応能力となったのではなかろうか
そんな風にも思うのです
だってスプーンで
シルバーがなくてゴールドだった
それらが10円であったら100円ショップより安いからこれぐらいいっかー
そうなりませんか
90円懐に収まってるわけだからさ
節約してるとこうなってくる
毎日そのものをいちいちなんとも思わないけど
使えるのですよ
まあまあなんとかなってるうちに愛着なのか妥協なのかは分からんが
それらが10年近く持ってくれたならかなりコスパが良いので
買い換えたら思い出すしかないですよ
というかものをいちいち思い出すっていう行為自体ないのだけども
ふとした瞬間にそういえばそうだったなあ
たまには記憶も残っていたりする
それらを懐かしいと思うけど所詮ものなので
何がなんでも欲しいとなるほどお金かけてないのだから
一般庶民としては感慨もクソもないわけ
ゆるりまいさんみたいにあれこれが高いのだったら違うかもしれない
高くても数100円ですよ
ファストファッションのセール品もそう
私は全てを高いもので揃えておくのはいつかの先で
将来であると思っているから
高いもんを時々買うとヒール履いた時みたいに緊張する
それらにいちいち文句をつけていたらバチが当たりそうだけど文句を言いたくなる
こういうカテゴリーの中にいるから適応能力と言えば聞こえはいいけれど
自分の中のイメージが固まってくるのもこういう期間があったからなんじゃないのかな
シャネルは高かったがそれでも文句を言いたいものは文句を言いたいのである
アイシャドウなんて強すぎてやんわりメイクできないので
また別のシリーズ買わなきゃならんから文句くらい言いたいのである
つまり値段ではそれらをコントロールできないので
気づいたもんがちなんだろう
あれこれひとりでぶつぶつ念仏のように唱えながら
100個くらいはこうだったらいいのにを挙げておこうとするけれど
100個も願望なんて出てこないのですよ
残念なが
でもそれらをいちいち続けていると
ある日突然好みのものに出会った時に直感で分かるのですよね
だからこそのリサイクルショップで活用
適応能力を身につけろでし
最後までご拝読ありがとうございました