
マノワールタスクの他にデンティストタスクもありなかなかせわしない日でしたが、その始まりは「鳥取の義兄が亡くなった」という早朝の電話でした。
兄は2年間闘病しておりましたので、覚悟は決まっておりましたが、主人は早速今日旅立ちました。 兄と主人は会うといつも子供の兄弟喧嘩みたいなことしておりましたが、太い絆で結ばれております。
主人は高校入学してまもなく自営業の実家が倒産し、父が倒れたため、中退して大阪に働きに出ました。 兄は20歳にして早くも嫁をとり、一家を構えることになったのです。 料理人の道を志して京都で仕事していたころ、どうしても本場の料理を学びたくて、兄に相談すると、畑を売ってヨーロッパへの旅費を出してくれました。 当時の航空運賃は大変な値段です。 片道25万円ですって。 お給料が2万円ぐらいのころ。 そりゃ決して素手で帰国はできません。 そこから7年にわたる修業が始まったのでした。
母は井上旭を産んでくれましたが、兄はシェフ井上を生んでくれたのですね。 私も明日旅立ちます。