幼なじみが亡くなって、一週間が経ちました。


いまだに、夜中にLINEがくるんじゃないか、てスマホを開いて見てしまう。


信じられない、本当に急でした…。


先週の23日。いよいよ在宅ケアが始まる、今日は訪看さんがお昼から来る日


朝、嘔吐があったので、家族が着替えさせて、訪看さんが来る時間に「ご飯食べて来ていいよ」て、家族がちょっと離れた時にまた嘔吐。


吐いたものを詰まらせ、窒息死だったそうです。


もう、悔やんでも悔やみきれない


訃報を聞いて、長崎のランタンから山口へ!


お通夜も0時過ぎてしまい、ホテルに着いたのは2時過ぎ、ご家族と随分話し込んでしまいました。


お母さんに、お兄さん、幼なじみの3人暮し


結婚を逃してしまい、高校卒業して地元の企業で40年間経理を勤めていました。


弱くて、飽きやすの惚れやすの私と違い、ほっんとに強い人で頑張り屋さん、誰にでも優しく、愚痴も悪口も言わない、楽しくてみんなに好かれる人でした。


私たち家族の歴史にも、幾度も助っ人で来てくれて、もはや家族ぐるみのお付き合いでした。


なので本当は家族全員で参列したかったのだけど

私とおとんだけで。


告別式も社葬じゃないか、てくらい会社の方が大勢参列していて、私たち一般席もお友達がたくさん来ていました。


母の時と同じ斎場でしたが、家族葬と全然違う


いきものがかりの「ありがとう」が流れる中、葬儀が初七日まで行われました。


お線香を炊く時、お母さんが「きららちゃん、ありがとうね」て、前に出てきてくれて、もう号泣でした。


なんて言ったらいいのか、彼女との思い出がずっと頭の中蘇ってきて、体中から涙が溢れ出た。


「あと2年がんばったら(定年)遊びまくるよ」


いつ何があるかわからないから、やりたいことやろう!いろんなところに行こう!


最近は田舎に帰ると、そんな話ばかりしてた

*´∀`)(´∀`*。


風邪も引かない、かかりつけ医がない、健康体の彼女だったから、第2の人生は思いっきり楽しむ!て言ってたのに。


そんな彼女との未来はもうこないんだな


もう、涙しか出てこないのだけど…。


貴女が生きたかった、今日を、明日を、泣いてばかりいてはいけないよね。


お兄さんが、遺影の小さいサイズを下さったので、彼女から以前貰った「お雛様」の横に置いてます。


にっこり優しい笑顔に、いつも語りかけてる。


3ヶ月もしない内に、大切な人を2人も亡くしてしまいました。爺との同居、マンションの大規模修繕工事で、いまだ心ここに在らず。


でも、今朝𝐓𝐢𝐤𝐓𝐨𝐤の更新が出来た

ブログが書けた


一歩前に進めたかな



これからも、無理なく、いろんなことを

下手な文章で綴っていきます。


宜しくお願いします🙇‍♀️。