アメリカに来て、子供たちと接する中で、日本との違いに気づきました。それは、日々、親以外に、子供たちと接する大人が、とても多いこと。現在の日本は核家族化していて毎日忙しいですが、その現在の日本での生活よりも、アメリカでは、親以外のいろいろな大人と接することが多いように思います。

 

アメリカでは、子供の誕生日会や、いろいろなお祝いパーティ(学校の卒業パーティや、ユダヤ人社会での宗教上の成人式(男の子の13歳のバル・ミツバ(Bar Mitzvah)と女の子のバトミツバ (Bat Mitzvah)など)、クリスマスや独立記念日などの行事パーティ、あるいは単なる週末のBBQなどで、大人も子供も一緒に集まります。そういうとき、大人は、子供たちに、いろいろと話しかけているのです。

 

そういう集まりでは、子供たちは、親の友人たち、祖父母の友人たち、叔父叔母、いとこ、など、いろいろな世代と一緒に集まっていて、集まりの少なくとも最初最後には、子供は、そういう大人それぞれに、挨拶と少し話をします。(その後は、大人は大人どおしで会話を楽しみ、子供は子供どおしで遊んだり、と別々になることが多いと思いますが。)

 

そして、それらの人たちの親しい友達たちも、一緒に集まって子供たちと何度も会っているうちに、血がつながっていなくても、Grandpa誰々とか、Uncle誰々、などと呼ばれ、そういうふうに挨拶して大事に接するように、子供に躾けをしています。

 

アメリカで、そういう大人と子供の会話を聞いていて気づいたことは、大人は、子供に、何が好きか、AとBのどちらが好きか、何を食べたいか、と、常に自分の気持ちと意見を聞いている、ということです。子供は、好きな色は何か、好きな食べ物は何か、こちらのおもちゃとあちらのおもちゃはどちらが好きか・・・、などなど、常に、好きなものを尋ね続けられています。

 

だから、アメリカ人は、こうやって、自分の好き嫌いに敏感になるのだな、そして、大人と話す時にも臆しないのだな、という気がしました。食べたいものを聞かれて、何でもいい、わからない、と答える子供はあまり見たことがありません。みんな答えをはっきり答えます。答えが何であってもとにかく答えるように躾けられている、とも言えますね。もちろん、食べたいものとして甘いお菓子を答えても、いつもその望みが叶えられるとは限りませんが笑。(大人は、そういう時は、今はダメとか、その望みが通らない理由を返答しています。)

 

最近の日本では、親以外の大人は、どうやって子供たちに接しているのでしょうか。そして、子供は、どういう風に大人と話をしているのでしょうか。日本では、大人にそういうふうに質問されても、何でもいい、とか、分からない、とか、遠慮したりモジモジしてしまう子供も多いような気がするのですが、どうなのでしょうか。普段からいろいろな大人が子供にどんどん話しかけて、質問してあげること、ってすごく大事な気がします。