おはようございます。

 

美帆です。

 

 

寒いです。

暖炉で薪が燃えております。

#暖炉大好き

 

 

 

 

さて、私の母は倫理研究所と言うところに入って、日々勉強しているのですが、

子供のころはそれをあまり好ましく思っていませんでした。

 

 

 

思春期だったんでしょうかね、倫理研究所って名前が、宗教ぽくて、友達に知られるのが嫌だったんです。

 

 

書いて字のごとく、倫理を研究しているところなんですが、「倫理」の意味を知らない私はなんとなく嫌だったんです。

#名前が嫌

 

 

結局、何を学んでいるかと言うと、幸せに生きる方法なんです。

自己啓発とか、夫婦円満とか、育児は育自的な事です。

今でこそ、そこらじゅうで聞く言葉ですけどね。

 

 

次女ちゃんの妊娠中、日本では「引き寄せ」とか、「宇宙の法則」とか、「自己啓発」とかがすごく流行っていました。

そのころに、自己啓発や心理学のブログを読み漁っていました。

 

 

色んな方のブログを読んで、高額セミナーに行きたいと憧れて、

#オーストラリアからはそう簡単には行けない

 

 

しかしながら、読み漁っていくうちに気づいたんです。

これ、うちの母親が全部言ってたな。って。

 

 

 

私たち姉弟は会員が足りないからと、名だけ会員にされており、

さらには、子供倫理と題して、日曜日の朝6時から倫理の会に連れていかれたこともしばしば。

#今も名だけ会員

 

 

名前が嫌いだっただけで、内容は結構好きだった私は、

そこら辺に雑に置かれている「母の勉強」の類の本をよく読んでいました。

#この辺は母の作戦だったように思う。

 

 

 

毎月発行される「新世」と言う本があるのですが、なぜかうちには箱で送られてきていました。

 

 

その冊子には送られてくる相談の答えだったり、倫理を勉強している人たちの体験談だったりが載っているんですね。

それが結構面白くて、読んでいました。

 

 

 

そこに載っていた一つのお話。

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体の弱い子供がいました。

病弱で一度体調を崩すと、重症になります。

この子のおばあちゃんは、その子の事をいつもいつも心配していて、

その子が元気な時も心配していました。

おばあちゃんの心配通りに、

こどもはいつもいつも体を壊し、重症に陥っていました。

おばあちゃんは、さらにいつもいつも心配しました。

子供は風邪を引き続けました。

 

ある日、おばあちゃんが亡くなりました。

その子供は、心配の鎧がはがれたように元気になりました。

体を壊すこともあまりなくなりました。

 

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と言う、何十年も前に読んだ、一つの体験談の超要約。

本当の文章はもっと言葉を選んで、優しい文章でした。

こんなような内容だったということだけわかっていただけば良いかと。

 

 

 

要は、子供は親、または近くの大人(子供が信用している、愛情を感じている大人)が心配した通りになりますよ。と言うことです。

 

 

 

これね、絶対そうなんです。

 

 

 

これは、私のいとこのお話です。

 

 

彼女は小さい頃はもうこれでも買ってくらいのお転婆娘でしたが、成長するに連れてキレイな娘になりました。

そして、周りの男性は彼女を放っておかなくなりました。若い頃は彼氏もとっかえひっかえだったのかもしれません。

そして、建築に興味を持ち、今では1級を持つ建築士です。

そんな彼女が、結婚しました。

私の叔父で、彼女の父親は彼女が結婚するにあたって、

「どうせすぐ離婚して戻ってくるんだから、手に職つけておけばいい」と、

愛情の裏返し、建築士1級と言う素晴らしい資格を手にした娘への誇りと、

飽きやすい彼女の性格と昔彼氏をとっかえひっかえしていたことへの心配から

照れ隠しでこんなことを言ったんでしょう。

本音ではないと思うんですが、

結婚してからも「あいつはすぐ離婚しそうだからな」と心配していました。

 

どうなったかと言うと、お察しの通り、2年で離婚しました。

ただ、彼女が彼に飽きたからと言う理由ではなく、完全なる男側の悪。

詐欺と言ってもおかしくない、男の悪です。

 

 

しかしながら、そんな人を彼女は選んでしまった。

 

 

大好きな父親の心配が正しいことを証明するかのように。

 

 

 

 

 

これは、私の姉の話ですが、

 

姉は、国際高校という帰国子女が集まるような高校に行きました。

頭が良く、卒業後は海外に飛び立つのかと思いきや、大学で大幅に線路修正して、農業大学に入りました。

同居していた、祖母は、その頃ら、農業なんて。と言っていました。

祖母は戦後、百姓をしていてそれはそれは苦労したようです。

だから、農業=百姓=苦労と思っていたんでしょう。

 

月日がたち、大学時代からお付き合いしていた、彼と結婚しました。

彼の実家は東京のど真ん中の農家の長男で、結婚するにあたって、事業の後を継ぐため実家に戻りました。

 

 

祖母は、もう大変です。心配に次ぐ心配。毎日毎日、彼女は大丈夫だろうか、苦労しているんだろう。

ああ、可哀そうに。と、毎日哀れいでいたようです。

 

 

実際、東京のど真ん中の農家と言っても、農業で生計を立てているわけではなく、言ってしまえば超玉の輿なのですが、祖母はそこら辺を無視して、「百姓」と言うところだけを見て、心配していました。

 

 

姉は結婚してからも、なかなか子供ができず、祖母はさらに心配しました。

人口受精をして命を授かるも4回流産しました。

祖母は心配しました。

 

祖母は96歳で人生を全うしました。

祖母が亡くなった次の週、姉は妊娠し、10か月後かわいい赤ちゃんを産みました。

 

 

 

誤解しないでほしいのは、私たち姉妹は祖母のことが大好きで、祖母が心配したから、子供を授かれなかったなんて思っていません。

姉はたぶん、この「心配の及ぼすこと」の話を知りませんし、家族みんな、きっとおばあちゃんが天国に行くときに、あそこに行きなって姉を推薦してくれたんだろうと思っています。

 

 

 

ひねくれものの私が、後々思い出して、もしかしたらとひそかに思っているだけです。

 

 

 

私が親になってから、母は「子供は親が心配した通りになるんだから、心配しないでおきなさい。大丈夫だよ。」と事あるごとに言っていました。

今年子供たちは11歳、9歳、6歳になりますが、大丈夫でした。

すくすく育っています。

 

 

そして、私が子供たちの学校を辞めて、ホームスクーリングにすると言ったとき、母は驚いて、心配しましたが、「あなたたち夫婦がちゃんと話し合って、決めたことなら大丈夫と信じています」と言って、心配することをやめてくれました。

現在、我が家のホームスクーリングは、周りのママ友から羨まれるほどぶっちうまくいってます。

 

 

 

心配するのは親の仕事と言うのは嘘ですね。

 

実は、心配する方が簡単なんです。

ほらやっぱり。と他人・子供のせいにできてしまうから。

 

 

子供たちがイキイキ自分の人生を歩めるように、呪いをかけずに行きたいですね。

 

 

 

それでは皆さん。

良い1日を。

またね。