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祈り、悲鳴、歓喜 会場をのみ込んだ羽生結弦さん 伝説のヘルシンキ
<figure-eye>祈り、悲鳴、歓喜 会場をのみ込んだ羽生結弦さん 伝説のヘルシンキ
「優勝は厳しい」。そう思ったのは私だけではなかったはずだ。2017年4月1日、フィンランドのヘルシンキで開催された世界選手権の男子フリー。首位のハビエル・フェルナンデス選手に10点以上離され、SP5位の羽生結弦選手はこの演技に逆転をかけていた。
客席には多くの日の丸や日本人選手の応援幕が並び、会場は始まる前から熱を帯びていた。リンクサイドのフォトポジションの抽選に外れ、リンクに近い客席に座っていた私にも、その熱気が痛いほど伝わってきた。それでもパソコンを足元に置いて写真を送信する準備を整え終えると、比較的リラックスしてカメラのシャッターに指を置いた。
最終グループの滑走順は羽生選手が1番。登場に湧いた会場は、その期待を押し殺すように少しずつ静かになっていった。円を描くようにリンク中央に近づく姿は興奮しているようにも、自信がないようにも見えない。落ち着いたいつもの表情だ。今振り返ればこの時、会場で冷静だったのは羽生選手だけだったのかもしれない。演技開始に合わせ、羽生選手の動きがピタッと止まった瞬間、自分が手に汗をかいていることに気づいた。冷静なつもりだったが、知らず知らず客席の緊張感にのまれていたのだ。
誰もが最初の4回転ループに注目していた。失敗すれば勝てないと皆がわかっていた。ゆっくり滑り出した時、背後に座る日本人女性はすでに声が震えていた。ジャンプした瞬間、無音の世界に入り、羽生選手がファインダーでコマ送りされた。聞こえたのは踏み切りと着氷時にブレードと氷が削れる音だけ。私の中でフリー楽曲の「ホープ&レガシー」はなぜか一時停止していた。
4回転ループは完璧だった。それだけではない。4本の4回転ジャンプをすべて鮮やかに決めた。跳ぶ度に悲鳴に近い声が響き、後ろの女性の震える声は号泣に変わっていた。ノーミスでなければ逆転できない状況、そして会場で膨張する緊張感。羽生選手はどのような精神状態で臨んだのか。これを「ゾーンに入った」と形容するのだろうか。冷静になれなかった私には想像もつかなかった。
その後の表彰式。223.20点で自身が持つフリー歴代最高得点を塗り替えた羽生選手がレンズの向こうで屈託のない笑顔を見せていた。「勝ってうれしい」だけではない、表情から「楽しい」が伝わってくる、そんな選手に出会ったのは初めてだ。この日の主役に魅了されたのは客席のファンだけでない。客席で撮影していた自分もそのひとりなんだと気づいた。
【佐々木順一】

