<figure-eye>羽生結弦さん、王者がリンクサイドで見せたもう一つの背中



ベストアングルではないことは分かった。でも、ファインダーから一瞬見えた姿に、万感の思いが込み上げ、シャッターを切る指先が震えた。


【美学貫いた羽生選手 北京五輪フリー】


 北京冬季オリンピックの男子フリー演技後、リンクを出た羽生結弦選手の姿が出入り口の保護マットで隠れた。姿は見えなかったが想像はできた。上半身を起こすと、両手につかんだ氷が見えた。そう、いつものようにリンクに触れたのだ。コーチを付けず五輪に臨んだ羽生選手はひとり、握り締めた手を、そのまま額につけた。


 ほんの数秒の氷との対話に一気に引き込まれた。全ての動作に、表情に、しぐさに意味がある。羽生選手は一度カメラを向けると、その数々の問いかけに常に写真で応えたくなる存在だ。


 フリー演技「天と地と」では約4分間で2808枚のシャッターを切った。4回転アクセル、そして演技後に6秒間天を見上げた姿、刀をさやに入れ堂々と舞台袖に下がる振る舞い。次々と上書きされていくシーンに心震えながら、22枚を厳選して送稿した。4回転アクセルの連続写真用の素材も送り、急いで次の取材先であるスピードスケート会場へと向かった。


 スピードスケートの競技時間まで、リンクサイドで必死に送り漏れがないかを探した。そんな中、送られてきた4回転アクセルの連続合成写真には着氷姿勢が入っていなかった。送るはずだった最後の十数枚が送信されていなかったのだ。


 慌てて写真を追加し、国際電話で自分が感じた意味を説明した。「あの背中にすべてがある」。締め切りが迫る中、祈るような気持ちで完成を待った。転倒後すぐに起き上がり両手を広げた。王者の背中だった。この背中とリンクを出てから氷を額につけた背中が脳裏で重なった瞬間、涙があふれてきた。


 羽生選手を撮影していると、いつも心に浮かぶ言葉がある。「神は細部に宿る」。指先足先は無論、表現者として髪の毛一本一本にいたるまで神経がめぐっている。流れる衣装の曲線にまで神経が通っているような写真が撮れるのは、羽生選手の細部にまでこだわりぬく意志と強さから生み出されると思っている。これからも進化を続ける姿に対峙(たいじ)できるフォトグラファーでありたいと強く思う。【貝塚太一】



 フィギュア取材歴10年を超えるベテランから若手まで、フォトグラファーがリンクサイドで見て感じた一瞬を紡ぎます。(随時掲載)