ここのブログを長年覗いてくださってる方は
名古屋の祖母のことはご存知かもしれません。
父の母、大和田恭が、11月1日に98歳と10ヶ月の人生を終え、永眠いたしました。
激動の時代を生き抜きながら4人の子どもを育て
常に自分のことよりも家族のことを想い
冗談をたくさん言ったりしてよく笑い
チャーミングで周りを幸せにする人でした。
敬虔なクリスチャンで教会でも歌っていたし
祖父が亡くなってからシャンソンを習って
とにかく歌うことが好きで。
身体が思うように動かせなくなってからも
私が電話越しに歌うと喜んで、一緒に歌ってくれました。
この夏に、血圧が低下し、だいぶ具合が悪かった時に、コロナ後に父とワガコとやっと会いにいくことができました。
その時には、だいぶしんどそうでしたが
ワガコと「手のひらを太陽に」を歌うと
ぼくらはみんな生きている
生きているから歌うんだ〜♫と
小さな声で一緒に歌ってくれた祖母。
私たちや他の子どもや孫やひ孫たちに会えて
また血圧が戻り、電話で話せるほどまで回復しましたが、老衰のため永眠しました。
大往生です。祖母自身も
「もうすぐだと思う。後悔はないから、悲しまないでね」と父に話していたそうです。
素晴らしい人生だったと想います。
でも、私は、正直、悔しいです。
夏に会いにいくととても嬉しそうで
直接会うことの大切さを痛感しました。
やっぱりコロナがなければもっと会いに行けたし、刺激を与えられたし、もっと触れてあげられたのに。
緊急事態宣言中は「さみしい、さみしい」と言っていました。その言葉を聞くのはとても辛かった。
私よりも父がどんな気持ちか
それをどうしても考えてしまいます。
なぜ2年連続、目に見えぬウイルスに大切な人との間を遮られなければならないのでしょう。
でも、父は強い。すごいです。
ウイルスになんて遮られない
強い絆で、祖母とも繋がっているのが
見ていて、話を聞いていて伝わってくるのです。
ウイルスになんて負けない大きな愛で
毎日祖母に電話をしつづけ、励まし
そして祖母にも「ばくーがんばれよー!」と
励まされながら、ここ数ヶ月、二人の絆はより強まってるように見えました。
今できることを精一杯していました。
会えないことに文句を言うわけでもなく
ひたすら、電話をして励ましつづけていました。
そして私も父も、母のことで後悔がたくさん残っているので、祖母にだけは納得いくまで「ありがとう」を伝えました。
父はやってもやっても後悔は残ると言ってはいましたが、「ありがとう」をきちんと伝えられたあの時間はとても幸せな時間だったと思います。
昨日、お葬式も執り行うことができました。
式の大切さに気づかされ、やはりどうしても、棺を選んだり骨壷も選べずお葬式をしてあげられなかった母のことが浮かんで涙が止まらなかったけれど
悲しまないで。という祖母の言葉通り
悲しまずに、ありがとうの気持ちで心をいっぱいにしました。
母を亡くし、祖母を亡くし
私は
死は永遠の別れではない。と
確信しました。
死は終わりではない。
死が永遠の別れならそんな残酷なことは
乗り越えられない。辛すぎる。
二人が亡き今も
私は母を感じ、祖母を感じます。
二人に与えられたもので、胸の中がいっぱいです。
それは目には見えなくても会えなくても
私の中に生き続けてるということ。
おばけみたいに出てきてはくれないけれど
(でてきてほしーい)
目に見えないからこそ、永遠なのです。
目に見えないからこそ
いつでも会えるしいつでも想える。
寂しいけれど触れたいけれど
もっともっと一緒にいたかったけれど
人はみな、見えないものになっていくのです。
「星の王子さま」の中で
「大切なことは目には見えないんだよ」という言葉がありましたが本当にそう。
目に見えないものこそ本物なのだと思うようになりました。
正解なんてない。
ただ私はやっぱりどんな経験も糧にして生きていきたい。おばあちゃんに教えてもらったことを自分の人生にも活かして生きていきたいと思います。
実は今年、父の家の隣に引っ越しました。
家族みんなで力を合わせ
これからも祖母に与えられた命
母に与えられた命を大切に暮らしていきます。
祖母は電話を切る時に、感謝の言葉とともに、必ずこの言葉を言ってくれました。
「幸せにね!」
祖母も母も私の幸せを願ってくれてることでしょう。
大丈夫。幸せだよ。
大丈夫。ありがとう。
生前、祖母に関わってくださった全ての皆様に感謝申し上げます。有り難うございました。
夏に会いにいったとき、祖母と私とワガコ。