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今日は私と占いについてです。

 

私と占いとの出会いは14歳の時でした。

母の友人に今村宇太子先生という東洋占術の大家がいらして、よくうちに遊びにいらしていたのですが、ある日私を占ってくださり、誰も知らないはずのことをズバズバと言い当てられたのです。

まだあまりお話ししたこともない頃でしたから、私はとても驚いてしまって「占いを教えてください」と頼んだのですが、先生は「まだ幼すぎる。もう少し大人になって、それでも勉強したかったら教えてあげます」と。

 

だけど、私はどうしても知りたくて、先生の手帳をこっそり拝借して書き写していたところ、見つかってしまったのです。
「そんなに知りたいのなら教えてあげます」、それから私は先生のもと必死に占いを勉強しました。

今村先生は気学や四柱推命をベースに、ご自分で開発された数気学がご専門でした。手帳には年や月ごとに二桁の数字が書かれていて、これらの記号を使って占いを習いました。

 

ですから、私はいまだに一般的な四柱推命の用語には詳しくありません。

ぐーたらな性格でなければ書き替えたりもするのでしょうけれど、今も当時のまま。中学の時に書き写した手帳を使っています。

占い師となったのは、24歳の時でした。
大学を卒業した後、親戚の口利きで広告代理店に就職したのですが、あまりにも向いてなくて退職しました。そして、他に手に職のなかった私は先生のアシスタントとして働くことになったのです。

先生のもとには週3日ほど通い、お茶を入れたり雑用をしたり、また、古い書物を読んで占いを勉強したりしていたのですが、時々、先生が蒼白な顔で私のところにやって来て「ちょっと無理」と寝室に入ってしまわれることがありました。


というのも、先生はものすごく霊感が強い方で、強烈な負の運気を持っているお客さんがいらっしゃると具合が悪くなってしまうのです。そういう時は代わりに私が鑑定していました。

お客さんは政治家や大企業のトップの方がほとんどでしたから、会社の倒産や同僚の裏切り、人間関係、不倫、離婚など、今思い返すと人生経験を積んでいない小娘が「占い」という地図だけを頼りに扱うには、シリアスな相談事ばかりでした。


占いは、普段の現実の世界という、表の世界に対する「裏の世界」であり、相談にやってくる人たちもまた、普段は誰にも見せない「裏側の顔」や「素顔」を占い師には見せてく
れます。
・・・(つづく)

 

 

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