ここ数年、ずっとウツな気分を抱えたまま暮らしていました。

結婚してはじめて夫の決断に
反対の意思表示をしたことがきっかけで、
夫が転職 を決め、その転職 が失敗したことが原因でした。

夫の性格が変わり、家の中も暗くなりがちで、
反対した事への負い目がある私は自分を責め、
必要以上に夫に対して自分を抑えて
合わせるように暮らしていたように思います。

そうした生活が数年続くうちに、
持病の座骨神経痛が悪化し、
こむらがえりから肉離れを起こして
松葉杖のお世話になること3回。
慢性的な膝と腰の痛み、ふくらはぎのしびれなどから、
外出するのも億劫になり、
仕事以外ではひきこもるような生活になってきていました。

「どうせ私なんか」「きっとうまくいかない」
すべてがマイナス思考の日々でした。

そんな中、
夫の実家でゴタゴタが生じ、長男である夫が
義母をひきとらなくてはならなくなりました。
それが昨年6月。

これだけでも私にとっては精神的に負担だったところへ、
やっと義母の生活も軌道に乗り始めた9月、
夫は一人で転職 を決め、海外に単身赴任してしまったのです。
夫との心のつながりも信頼関係も薄れてしまったまま、
別々の生活が始まりました。
 
そんな中、
友人のYさんが風のワークを受けることになり、
フィナーレに私もお邪魔することにしました。
11月25日のことです。

私が風のワークを受けたのはもう11年も前だというのに、
miho
さんは「おかえりー」と笑顔で迎えてくれました。
ウォーミングアップの瞑想の時から、涙が溢れてとまらず、
「未来宣言の言葉を」と言われても嗚咽で声がでないほど。

今回の風のメンバーはYさん以外みんな初対面だというのに、
恥ずかしいという気持ちよりも、悔しくて悲しくて辛くて、
それでも抑えていた自分の気持ちを、
涙と一緒に流してしまいたいという気持ちが強かったのだと思います。

その後、mihoさんに思いつくまま、感情をメールしました。
ずっと抑えていた感情を文章にしていくことによって、
自分の気持ちにしっかり向き合うことができるようになってきました。

それから、私に風が吹き始めました。

私の内面が変わったことで、周りが変わってきたのだと思います。
今まで生きていた中で、心の深い部分での交流があったと
確信していた人たちとの再会が次々と起こったのです。
それは人を介して偶然にということもあったし、
その人たちから突然に連絡が入るという形のこともありました。

そしてその誰もが、
「また一緒に仕事をしたいね。」、
「死ぬまでずっと友だちだよ。」
「いつも心の支えだったよ。」と、
口々に私との出会い、
縁を大切にしたいと告げてくれるのでした。

仕事を通じての新しい出会いもありました。
「3年前の**さんの言葉がきっかけで、
私、自分のやりたいことがわかったんです。で、
とうとう独立しました。がんばります。」そんな連絡をもらい、
自分の仕事がきっかけでそんなふうに歩みだしてくれる人がいたんだと、
こちらが元気をもらうこともできました。

子どもたちが私を必要としてくれているし、
大好きでいてくれることはわかっていても、いつかは巣立っていく。
そんな中で、夫との関係も悪化し、私は孤独を感じていました。
「私が死んで、ほんとうに悲しんでくれる人っているんだろうか。」
そんなことまで考えるほどだったのです。
そんな私にとって、彼らの言葉がどれほど力になったかは計り知れません。

そんな言葉が心に染み込んで、幸せを感じられるようになった私に、
また新たな変化がおこりました。
私は、苦しかった、辛かった、悲しかった。
でも同じとき、夫だってきっと同じ想いをしていたはずだ、
と考えることができるようになったのです。

振り返ってみれば、夫が教えてくれた世界、
夫からもらった幸せはたくさんあります。
今の私たちの関係がかつてのようなものではないからといって、
その事実は消えるわけではないということに気づくことができました。

これから二人の関係がどうなるかはわかりません。
それでも、夫と出会えたこと、
彼からたくさんの幸せをもらったことへの感謝の気持ちを
忘れずに暮らしていけば、きっとまた風が吹いてくる。
そんなふうに思える今日なのです。

11月25日。
miho
さんと11年ぶりの再会をしてまだ2ヶ月とちょっと。
風は確実に吹いています。

自分が変わることで周りも変わる。
夢をみることの素晴らしさも、
誰にも奇跡は起きるということも、信じることができる私です。
 
泣きに帰ってきていいよと言ってもらえる場所があるのは、
ほんとうに幸せです。ありがとうございます。
傷ついたとき、寂しいとき、辛いとき、
そして嬉しいとき、泣きに帰らせていただきます。

これからも。