私は母


5年生の女の子の母親だ




その娘

私の感情を強く揺さぶる存在




子を産み育てる


娘のことは

もちろん大好き照れ

愛している…



そう

それはそう



でもね、

時々、私はこの子を愛しているのか?

そうかな?

、、、、

と不安になるときがある



母親というものが

子を愛していない


だとしたら…



それっておかしいことなのかも

私変なのか?

なんだろうこの感じ…



"愛があるかわからない"

そう頭によぎることでさえ

もう既ににおかしい人なのかもと

自分が嫌になる



そんな事が何度もあった…



なぜ母になったのか

なぜ母になれたのか


なる必要があったから

なったのだと、

学ぶ事があるからだと、


外から仕入れてきた考え方を

なんとなく理解して

頭に入れて処理して


そして

日々暮らしていく中で

沸いた不安や感情も薄れがちになり

深めることさえもなく忘れていく



そして、

また内側のどこかへとしまい込んできたのだ



そんな繰り返しをしてきたのだろう




今年の春

『自分の子供部屋で宿題をする!』

娘から突然の宣言!



その時、

すごいね!嬉しい成長!と

単純に喜びかけたのだが

急にとても寂しい感覚に襲われた



娘がいなくなってしまうような

そんな気持ちになったからだ



その次に気が付いた


こんなにも寂しく思う私がいる!!


「あ!娘に、こんなにも愛がある」

ってことだ!


そんな事がわかった気がして

私って変じゃなかった…って思えた



大切で愛していて

愛おしい存在だったと気づけた



正直、安心したのだ



私は母親なんだ

ちゃんと母親なんだ



そう思いたかったモノが手に入って

ほっとしたとでも言うのか

とにかく安心した



その時は

そこまでの気付きだった



でも今また

炙り出されてきたことがある

 



より見えてしまった事実



"娘を通して自分をみていたんだ"

ということ。



めちゃくちゃ府に落ちてしまった



繰り返すこの感情の元


『私は娘に嫉妬していた』


そこを認めることになった



これが滝汗

わかってしまった



私の内側にある消化されていなかった部分が

どこか娘を羨ましがっていたんだ



私のなかの私が

羨ましがり、妬んでいたんだ…ガーン


そこに触れる事柄が起こる度に

愛せていないかも…という不安の感情になって現れていたんだ



だから

母親として私は普通!

みたいなことがわかって、大丈夫だった!

と納得できたことも


結局は

普通じゃなきゃダメを

刷り込んでいただけだったんだよねガーン


全然

終わりじゃなかったん


娘は

私に甘えてくる


ゴロゴロっとお布団に入ってきたり 

すりすり近寄って肩に頭を乗せてきたり 


泣きたい時に大泣きして

その大泣きが収まるまで

私を自分のためだけに独り占めにし

ただギュッと抱き締めてもらったり…


私、羨ましかったんだ

自分に素直で、甘えることが出来る娘が



私が出来ないことを何なりとやれちゃう娘を

どこか受け入れられなかったんだ…




泣ける




特に、

甘えると言うところに

強く反応していることはわかっていて


例えば


「今、ここで娘のこのとを側でよしよしと撫でて、

抱き締めて上げたらいいだけ」

そういう場面が目の前にあって

そうするのがいいってふと思っても


やってあげられない事が何度もあった



わかっているのに、、

気付いているのに、、


どうしても、どういう訳か

そうしてあげられない自分にがっかりして

どうにもならない気持ちを抱えていた



甘えたい想いを100%で受け止められていなくて

正直しんどい事も何度もあった




娘を愛せていないのでは?とか

それが問題なのではなかった



娘を通して 

自分の内側が写し出されて


うやらんで拗ねて…

あなたばかりズルいと

反応していたんだ




ずっと気付けなかった

何度も伝えてくれていた

わかって、わかってって。




ごめんね



あなたもそんな風にしたかったよね



あなたが出来なかったこと

苦手だったこと


それを

目の前で

何度も何度も突きつけられ

その度に

辛かったね

苦しかったね



やっと見つけてあげられた

本当の私の一部



見つけて

もう大丈夫だよって伝えたい



ちゃんと私の一部だって

つつんであげたい




向き合うことって

辛くて悲しくて泣いちゃうことがたくさんある



けれど

こんなにも自分の内側のこと

気付けるようになった自分

癒してあげられる自分


そんな、私になれている




ありがとう

ありがとう


ずっと待ってくれていた私

見せてくれた娘




"母として"

それに対する

肩の力も抜けた気がする




娘が喜ぶことを

素直な気持ちで叶える人に

なっていけるような気がする



私はまたこうして

私のことを知り

進んでいくのだ