現実を受け止めることが出来ず、
夢の中にいるようでした。
やっと少し、
心の整理が出来始めて、
たくさんの思い出が
頭の中を駆け巡っています。
 




八代さんに初めてお逢いしたのは、
私が小学校4年生のとき。
フジテレビで夏休みのお昼に放送されていた
素人参加の番組に出演したとき、
私の放送回ではなかったのですが、
八代さんが別の回の収録にいらしていました。
 


(右前、スカーフしているのが私です)



格好良くてキラキラ輝いていらっしゃって、
私も八代さんみたいな歌手になりたいと
幼心に思った瞬間でした。
 

私がデビューして15年が経った頃、
ご縁あって八代さんの事務所に
所属させていただいて、
妹のように可愛がっていただきました。
「あなたの女」「大輪の花」
「命ひとすじ」「大輪の花〜第二章〜」
私のために作詩をしてくださいました。
 

「あなたの女」では、作詩だけでなく
振り付けも考えてくださって、
地方でご一緒した宿泊先の八代さんのお部屋で、
あ〜じゃない こ〜じゃないと、
笑いながら振り付けの特訓を
してくださいました。
 




「大輪の花」は、私と私の両親の姿を見て
詩が浮かんだの・・・と、
直筆の歌詞を手渡してくださいました。
 




箱根の別荘にお邪魔したとき、
八代さんは絵を描いていらして、
私はスタッフの皆さんと、
近くのゴルフ場にでかけました。
 
お天気が急変して土砂降りになり、
濡れたままで、別荘に戻りました。
 
男性陣は、
別荘にある温泉大浴場に直行しましたが、
女性の私だけ、取り残さることに・・・
 
そのとき、
「風邪ひいちゃうから、
私のシャワールームを使って!」
八代さんの寝室、プライベートな空間にある
八代さん専用のシャワールームを、
使わせてくださったのです。
 
申し訳なくて、有難くて、
私も八代さんのように
困った人に惜しみなく
手を差しのべられる人になろうと
思った出来事でした。
 




いつも両手を大きく拡げて、
私を包み込んでくださいました。
そんな暖かさに、
お逢いするといつも泣いてしまって、
「美保は私に逢うと、いつも泣くのよね!」
と慰めてくださっていました。
 

私が「けいれん性発声障害」を発症して
おもうように声が出せなくなった頃、
我が事のように親身になって
励ましてくださいました。
 

素敵な着物を誂えてくださったり、
八代さんが袖を通された着物も
たくさんいただきました。
 




大スターなのにおごることなく、
いつも笑顔で温かいから、
八代さんの周りは、
自然と笑顔が溢れていました。
 

「大輪の花〜第二章〜」は、
発売が新型コロナが拡がり始めた時期となり、
全国の皆様にお届けする機会が少なくなり、
ご恩返し出来ないままのお別れになってしまい、
心惜しい思いです。
 




八代さんが私のために
作詩してくださった作品には、
「私は代弁者」おっしゃっていた
八代さんの思いが詰まっています。
そのご意志を見習って、
聴いてくださる方々の心に届くような歌を
歌っていきたい思います。
 




私の部屋には、八代さんが描かれた
2枚の油絵が飾ってあります。
きっと見守っていてくださると思います。
たくさんの優しさを、
ありがとうございました。
どうぞ安らかにおやすみください。