イチロー選手の、大リーグ10年連続200安打という
偉業を記念して、
「イチロータイムス」という特別な新聞が発売された。

この新聞、日本のスポーツ紙6紙の合同制作!
そうそうあることじゃない。
それほど凄い記録なのだ。

200安打達成の瞬間、彼はなかなか
嬉しい表情、しぐさを見せなかった。
それがどうしてなのか、きっと何かがあるんだろう…と
気になってしまった。

「イチロータイムス」を読んで納得。
2年前に200安打を達成した時、所属のチームは
最下位。
200安打に対する地元メディアの評価は低く、
思いもよらない形の批判もあったとのこと。

一度そんな経験をすると、自分がやり遂げたその想いを
素直に表現していいものか…と悩んだりするもの。
彼のそれとは、スケールもケタ違いだけれど、
似たような経験をしたことがある。

「純粋にプレーだけさせてもらったら、そんなにしんどいこと
ないですよ」
彼の言葉。
プレーを歌に置き換える。
どんな世界も同じなのだろう。
周りの状況や、感情ある人とのやりとり…

どでかい偉業を成し遂げる人だって、
感情を素直に表現することが
出来ない状況になる。

あれだけの選手になれば、いい結果の日も
そうでない時でも、コメントを求められる。
喋りたくない日もあるだろう。
ほっといてくれ!と思う日だって。

日々注目された中での生活。
しんどいことのほうが多いに決まっている。
が、ここが凡人との違い。
「異性を意識するし、異性に意識されなくなるのも
つまらない。野球少年だけに見られてればいいわけじゃない。」

これまた、歌に置き換えてみる。
分野は違うけれど、勉強になる一言。




今でもそうなのかは、わからないけれど、
何年か前、彼がバッターボックスに入るときの
テーマ曲を、彼自身が選んだ。

石川さゆりさんの 「天城越え」
ギタリストにアレンジしてもらって、
使っていたようだけれど、この曲を選んだ理由を
何かの番組で視たことがある。

さゆりさんが「天城越え」を歌うときの、
手の動きがたまらない…

彼の口から出たこの言葉に、嬉しさと感動を覚えた。
30代の彼が、日本を離れてアメリカの大舞台で活躍
している、彼の中に存在していてくれた感覚が、
幼い頃から演歌を歌ってきた者として、何だかとても嬉しかった。

私も…
身体の向きや目線。
意識的な動きをするときもあるけれど、
マイクを持たない右手が、
歌詞の言葉を表現するかのように、
自然に動くときがときがある。


もちろん さゆりさんの歌だからこそ、
彼の耳に眼に 届いたのだろう。

いつか、私の歌や歌う姿、同じように彼に届いて、
何かを感じて貰えたら、 倖せだろうな。
夢みたいな話だね(笑)