世の中、ミレニアムと騒がれていた2000年。
お正月明け。お休みがとれて、両親をハワイに招待した。
やっと親孝行のまね事が出来るようになった。
さあ今年も頑張るぞ!
張り切る私をあざ笑うかのような、苦しくて悲しくて
辛い1年…いや10年の始まりだった。

すぐに回復すると信じて、仕事を続けた2000年。

大阪 MBSの歌番組。
共演は、八代亜紀さんと弦 哲也先生。
「あなたの女」作詩・作曲のご両人。
お二人の前で歌うこと。
適度な緊張の中ではあったものの、
これまでの経験上、普通にこなせる…はずだった。

本番。
リハーサルよりも、まだ何とかなった。
でも、元気だった私の歌声をご存知のお二方。
何とかしてあげられないの…そんな表情で
見守ってくださっていた八代亜紀さん。
あらためてVTRを視ても、涙がこぼれる。

収録からOA(番組の放送)まで時間があり、
制作の方から、CDの歌と入れ替えましょうか…
との打診がきた。

お願いします…と答えるしかなかった。
私に出来たのは、制作関係の方々にお詫びの手紙を
書くことだけだった。
一生忘れないであろう、苦い経験。

親身に心配してくださった、八代亜紀さん。
環境に原因があるのではないかと、たくさんの時間、
私の話しに耳を傾けてくださった。
八代さんの言葉、ひとつひとつが心に沁みた。
諦めない支えになった。

風邪の治りが遅れているのだと
疑いもしなかった。

でも…
風邪の症状なら、声がかすれても
音程がとれないなんてことはない。
この詰まるような感覚は何?



暗い迷路に迷い込んで、5年が経った頃、
ボイストレーナーの麻美さんから告げられた病名。
けいれん性発声障害。
私の場合、この5年の間に薬や注射の治療を
してしまったことによる、ホルモン性発声障害の2本立て。
治そうとしていたことで、回復を遅らせてしまったのだ。

けいれん性発声障害…ある部分がけいれんを起こすと
いうような、単純なものではないらしい。
詰まるような感覚、これも病状のひとつらしい。
何故そうなったのか。
原因はわからない。

病名があきらかになったことで、
何をすべきかという、方向が見えてきた。
大きな前進だった。

リハビリを続けた。
簡単に…回復してはくれなかった。
また3年4年と月日は流れた。
諦めそうになったことはあった。
それでも…諦めることはなかった。

プロである以上、一定レベルの技術は必要だろう。
それ以上に大切なこと。

やっと歌えるようになった、何ものにも変えることが
出来ない喜び。
聞いてくださる方や、周りの人達に対する
感謝の気持ち。
辛い、苦しい時間を乗り越えることが出来た、
少しの自信。

そんな心の叫びが声になり、メロディーに
乗せることが出来た時、
伝わる何かが生まれるのではないか…と思う。

この10年で、歌うことに対する私の考え方は
大きく変わった。
無駄な10年ではなかった。
ひとつひとつの経験が、私を少しづつ成長させて
くれたのではないか、と思う。

17歳でデビューしてから、当たり前のように
歌ってきた私に、歌うことが出来る喜びを
思い出す時間を、神様が与えてくださった…のかもしれない。