三姉妹 育児 ブログ
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こどもの日

痙攣は朝まで数時間おきに起きた。
眠ることなんて、出来なかった。

鎮静剤によって眠る三女は母乳すら飲まずにいる。少しでも…栄養をと、朝方四時に鼻腔カテーテルを挿入した。

8時、緊急でMRI検査となった。
震えが止まらなかった…事を覚えてる。

今日は長女と次女は
親戚の心遣いもあり、遊びに出掛ける事になっていた。母親は幼い妹に付きっきり、世の中は連休なのに出掛けられない子供達を不憫に思い
連れ出してくれたのだ。
今思えば、助かったの一言だ。もしあの日、自宅に居たら…離れる寂しさがより強くなっていたから。



検査の結果と共に話し合いになった。

右脳に膿か、水か?血液か?
開けてみないと分からないもので圧迫され
痙攣が起きているとの診断。
入院している病院には、大きい病院なんだけど脳外科がなかった。

急遽、近隣にあるR病院の脳外科医がMRIの画像を見に来てくれたのだった…

そして言われたのが
オペが必要であると。ここでは出来ない、小児専門の外科医じゃないと難しい…

容態から考えて今日中に転院したいと。
私の住む地域から、約600㎞離れたとこにある
小児医療•療養センターを勧められた。
オペ後の管理、また万が一の後遺症に備えたら
管理が行き届く医療機関だからとの事。

助かる見込みも
後遺症も、分からない。だけど、今必要な医療を受けさせたいって。

地域医療の限界
これがまさにそうなんだろうなぁ。
転院の手配はしてるとこだった、
転院までの交通路は
最優先で言えばヘリ。最悪、ドクターカーになると…
ヘリは緊急な要請がないとか
天候の影響が無ければ1時間程度で来ます。
と、説明された。

とりあえず必要最低限の荷物を用意して
家族一人、添乗すると言われた。

今日はこどもの日。
天気はやや、曇り。だけど風がない。

私と三女は支度を整え
ヘリと待ち合わせした場所に
救急車で向かった。
移動中の処置は、主治医と担当ナースが同乗して行う。特に主治医は昨夜から当直であり、何度も起きる痙攣のたびに対応してくれた。

女医さんで、GWで休暇に入る本当の主治医に代わりお世話になっていた。的確な治療を進めてくれたり、時には笑ったり…
この数日で、先生への信頼を深め治療に励んできた。仮にT先生と呼びますが、
T先生の判断が無かったら、今この子は生きてなかったかもしれない。
家族のことや不安…などのもろもろに
転院を拒む私を、受け入れながらも今必要な治療を受けるべきだと導いてくれた先生。

大丈夫。
やるだけやってみよう‼︎

そう思わせてくれた、そう背中を押してくれた
先生や看護師さんたち。

もう二度と会わないかもしれない。
もしかしたら、次会う時は
この子は側に居ないかもしれない…


荷物の支度をしながら、走馬灯のように
駆け巡る…これまでの日々。

ヘリの手配も済み、いよいよ…待ち合わせ場所となった空港まで救急車に乗りこむ。

他の小児科医、お世話になった看護師さん
夜勤を務めてくれた看護師さん
みんなに見送られて出発する。

パパ
頼むな、頑張ろうな。
実母
何かあったら、すぐ行くからね。

と交わす。
実母は眠り続ける三女に向けて、こう掛けていた…
ちゃんと迎えに行くからね、頑張るんだよ。


それはどちらでも受け取れる言葉。
良くなって退院する日であっても、
万が一でも…

だった。

救急車の扉が閉まった。
ふと後ろを向くと
肩を落とした夫

必死に涙を堪えていた実母が
泣いている。

ここには居ない、二人の娘たち…

家族が離ればなれになった。

そんな、こどもの日から
一年を迎えようとしてる。

治療

始まった。
血液製剤、ガンマグロブリン投与。
ニュースでしか聞いた事のない名前。

今、目の前で始まる。
昔、血液製剤で裁判があったなぁ…これは大丈夫なのかなぁ。
約7時間くらいかけて投与していく。

娘の周りには
痙攣時用のアンビューや
周りを囲む点滴たち…
殺伐としていた。

そして、予期せぬ事にPIカテーテルが再び閉塞。
もう手足は限界となり
左足付け根から静脈にCVカテーテルを。
その日はGW真っ只中…
にも関わらず、外科の先生が処置をしてくれた。


次に輸血。
輸血も僅かな量をゆっくり何時間に渡り、流していく。

献血して下さる方々のおかげで
娘の身体に入り、闘わせてくれたのです。ありがたいことなのに…当時は
不安しかない毎日でした。副反応出ないように…と願い続けていた。

毎日見舞いに来てくれた主人と
毎日、話をした。
毎日、言い合いした。
お互い
娘の治療を見守るしか出来ない、悔しさでいっぱいだったね。
でも願いは一つ。
生き抜いてくれることだけだった。

輸血により、真っ白だった爪や唇に赤みが出てきた。今、この子の身体に流れた血液が
この子を生かしてくれてる!
それだけで、不安の一つが消え
治療を頑張る糧に変わった。ただ右脳の浮腫、または血液の溜まり?は消えず…主治医から手術もしくは、転院の可能性があると話があった矢先に再び痙攣が起きた。
二度目とあり、冷静に痙攣が起きてる時間や状態を見ていた私。
もう負けてられなかった。
治さなきゃならなかった。
治して、この子と一緒に生きたいと思った。

この日は、午後偶然にも長女がお見舞いにきてくれていた。長い間、生まれた妹と会えない寂しさ。今、妹はどうなってるのか分からない不安…転院などを考えると一度会わせてあげたい。
言葉足らずの中、お願いを申し出て
主治医、看護師さん達のお心遣いで、病室で闘う妹と面会させてくれることに。

ちょうど輸血中で、妹の周りには沢山の管…
8歳の長女の目にはどう見えたのか。

◯◯は頑張ってるよ、だから(長女)も
お留守番、頑張ってね。

涙を流しながら、頷いた。

きっと、心はつらいだろうに。
きっと、苦しいだろうに…

目をそらす事なく
妹の今をちゃんと見つめてくれた。
数分で面会は終えたが…
見えなかった事が見えて良かった。賛否両論もあるでしょうが…ショックもし万が一
三女に何かあった時に
彼女の頑張りを知らないより、よく頑張ったよね爆笑と家族みんなで讃えてあげたい。また
その姿、姉妹にも見せたかった…と後悔しないために面会させました。

生きること
命の尊さを
知る機会になれば。

親のエゴですよねタラー


そして、翌日…急展開となります

カンファレンス

MRIの結果をもとに
夜、主治医らとカンファレンスに。

現状から言うと、右脳に浮腫がある。
浮腫を取る薬剤の投与、利尿剤投与で経過をみる。最善の治療をしていくと…

主人は後遺症が残るのか?
今の治療でいいのか?
尋ねていた。
私は横で泣くしか出来なかった。
脳に異常があったこと。
これ以上、どうしたらいいのか…
不安で押しつぶされた。お母さんから何かありますか?と聞かれて
つい話した言葉は、
こんなに辛い治療を続けて、本人に申し訳ない。
もし、ダメなら…治療を止めて
残りの時間を家族と過ごしたいって言ってしまった。

まだ何にも終わってないのに…
まだ頑張ってるのに…

血液も足りなくなり、輸血する事になるとか
免疫を高める薬剤投与とか

私には分からない。
救いたい気持ちでいっぱいなのに…ごめんね、かほちゃん。頑張ってるのに治らない毎日に疲れていた。
悔しい。自分が恥ずかしい。

主治医が言った。
何が必要なのか?その状況に合わせてやります。
最善を尽くします。
と。
医者にもなれない、治す術すらない親は任せるしか出来なかった。
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