だいぶ冷え込むようになってきましたね~

でも、外ではまだまだ蝶が飛び回っています♪

トンボはもういないのに。。。(^_^;)

トンボも好きなのですが、蝶がヒラヒラと舞っていると、その優美さに魅入ってしまい、この世界の美しさを象徴しているようで、ホント幸せ感に浸ってしまうんですよね~~♡

まさに私の潜象世界をそのまま映し出しているのだな~~と感じます♪


感じる感覚というのは、今からの時期、非常に大切になってくると思います。

もちろん、今までも大切ではあったのですが、今までの私たちはそれをつかうときに、基準を何かしら設けて、良いとか悪いとかの判断によって、物事に向き合い、決めたりしていたことが多々あったので、あまり感覚というものが当てにならなかったんですよね。

この概念を通しての感覚という内容については、このブログでも何度も何度も詳細に取り上げてきているので、今回は省くことにします。


今日、ここで言うところの感覚は、そういった判断ではない、純粋にインスピレーションのようにくるものだったり、なぜか解からないけどそう感じる・・・そういったものだと考えてください。

それは、自分にとっての高揚感、或いは違和感として感じられるときもあるでしょうし、言葉で伝達されたようにダイレクトにそうかっ!?と解る、腑に落ちた!!という体感であったりすることもあると思います。


最近私は 『 カタカムナへの道 』 という本を読み始めたのですが、、、
(えっ?今頃!?美ひめおそっ!!と思われるかもですが・・・笑)

まずこの本を手に取っただけで、ここに書いてあることのすべてを身体に容れ尽くしたい!!と感じました。

もうね、本の上に手を置いているだけで、愛しくてたまらないのです。。。

同時に安心感だったり、切なさだったり・・・なんとも表現できない感覚が渦を巻いて、手から全身に伝わり、その作用を受けて、細胞が沸き立つのが判るんですよ!

本当にすごい~~って思います!!♡


で、本書を開き、はじめに書かれてある、この本が出版に至るまでの経緯と、この本を編集され出版された方の思いを読んだだけで、もう、なんともいえない懐かしさが込み上げてきて、泣けて泣けて仕方がないんです!

そしてなぜか、、、私が過去・現在とこの人生で生きてきた関わりの深い場所と、この編集された方のこの本の出版に至るまでの体験の旅の場所がシンクロしていて、私にとってはとても、その場の情景やその土地の波動がイメージし易く、ダイレクトに感覚に伝わって入ってくるのです。

先日、半田 広宣氏のヌースレクチャーに参加した際のテーマもカタカムナでしたし、広宣さんがその内容に触れている最中、ずっと、なぜか涙があふれてきて仕方がなかったという現象を思い出し、今とてつもない必然という一連の流れのようなものを味わっています。

すべては完璧なめぐりなのだと・・・この感覚というものの絶対さを、全身全霊で体感してしています。。。



更に先日、この感覚という世界に携わる面白い体験をしました。

最近、私は子供という存在にとっても違和感を感じていました。

うまく表現できないのですが、なにかこう異空間の存在というか・・・自分とは別次元の変な生きもののように感じ始めたのです。


正直、自分のなかでこの感覚について、「こんな感覚を抱く私は人としてどうなの?」・・・と自分をジャッジする思いもあり、かなり複雑な気分でした。

そして、先日、このブログでも書いたように、<これからの人間の変化の必然の結果として、将来、もう子供という形をとって人は産まれなくなる>・・・と、言葉のようなもので降りてきたインスピレーションもずっと頭の片隅にありました。

これに関しては、先日、大阪で行われた 『 広宣さんを囲む会 』 で、広宣さんも同じことをおっしゃっておられて、「そうか、広宣さんも私と同じように感じているんだ~!」と、やっぱりそうだよね!とすっごい納得感を感じました。

この内容については、当然、人間が性的にどう変わっていくのか・・・という内容の流れもあって、その会場でも白熱した話題でしたし、このブログをお読みの方々もきっと興味をそそられるテーマでもあると思いますので、また後日、このブログに改めて書いてみたいと思います。


話を元に戻しますが・・・

その子供に対する違和感・・・はっきり言ってしまうと嫌悪感に近いのですが、その感覚を味わう時に必ず、こんな非人道的な思いはいけない!!と、自分にダメ出しするジレンマのような思いの狭間で、都度、複雑な不快感を感じながら、その日もパートナーとご飯を食べていました。

どうしてこんな気持ちになるのだろう・・・

この違和感は一体なんなの?? 
どういう意味があって、ここまで子供を見るとうんざりするような気持ちに駆られるのだろう・・・

以前は子供がまるで天使のように見え、どんな子供を見ても、あんなに愛おしさを感じ、涙があふれて仕方がなかったのに。。。

この変化の意味は?? 

なんで、なんで??なんで??? 

理由が知りたーーーいっ!!


そう思って、ふと顔を上げ、パートナーの顔を見た瞬間、、、

< ワタシタチハ シナナイ>

こういう言葉が、私の全身を駆け巡りました。


言葉を全身で体感するというこういった経験は、受け取ったと同時に、完璧な理解が同時に起こります。

そして、感覚でこの言葉を受け取ってから、パズルのピースがハマるみたいに更なる理解がやってきました!



私は以前に、すべては意識!だという感覚を受け取ってから、ヌーソロジーに出会い、ヌースは私が受け取ったその感覚を、完全に納得できる 『 知 』 として、頭の理解も含めて私に完璧なる答えを提示してくれました。

そうです。
どこまでも今までの人間が作った概念を抜け、良い悪いの周波数=地球大気圏(笑)を抜けていくと、すべてはただ意識で在る。。。

意識は即ち魂であり、それは素粒子なのである。。。

これがヌーソロジーを知って、私が今まで受け取ってきた感覚と、ヌースを融合させて考察した、今の私の現段階で行きついている 『 知 』 の最高地点です。

私は徹底した(ある意味頑な)人間なので(笑)、そうだ!と自分が理解したなら、これ以外に例外を認めません。

そうじゃないと、その至った 『 知 』 を元にした完璧な体験ができない(起こらない)からです!

その世界の体験がしたかったら、当然のことながら、今までの考えを完全に書き換える必要があります。(それがパーフェクトな体験の最低条件だとさえ思っています)


物事の理解というのは、完全に得ようと思ったら、必ず自分の体感(経験)が必須です!

そうでなければ、知った内容は単なる 『 知識 』 でしかなく、これは、『 知 』 とはまったく質の違うものです。

そして、その薄っぺらい 『 知識 』 はこの世界の常として、必ず劣化し、忘れていきます。

しかし、身体の理解を伴った全身全霊で得た 『 知 』 は、劣化することなく、『 叡智 』 となり、魂の永遠持続の世界に蓄積されていくのです。。。



子供という存在は、ある意味、今までのこの世界で私たちがやってきたドラマを象徴するような存在です。

家族ドラマという集合意識を持続させる要と言っても、過言ではないと思います。

私の周囲の人々や、セッションをやってきた方々の状態をみると、子育て真っ最中の人は、自分の子供というその存在に意識をかなり向けているので、完全に目覚めて地球の今までのドラマ(分離感を創り出す集合意識)を抜けることがなかなか難しいのです。

守るべきものがあるということは、そこには恐れがあり、その結果、必然として、良い・悪いの世界を抜けることができません。

ですから、今までの感覚のすべてを書き換えて、まったく違う世界に突入することはできないのですね。。。

だってそう簡単に、お父さん、お母さんという役割を辞めるわけにはいきませんものね~

本人は気づくことなく、敢えて新たな世界をやらないように、無意識下で行為を選択しているのです。

違和感をつかってね。。。♪

ですから、この記事を読むと、必ず違和感を感じるはずだと思います(笑)



そして、その世界での顕著な世界観は、生まれて死ぬ・・・これです!

子供は『生』の象徴でもあります。(あくまで今までの世界での概念ではの話・・・ですが)

この生命を守るという感覚のためには、良いとか悪いの世界を抜けることは不可能なんです!

父、母、子供・・・この関係性は、最強な人間型地球ドラマゲシュタルトだということなんですね。

ですから、真理を求心するインドの聖者(サドゥー)たちは、まず一番に家族を捨てたわけです。


本気でヌースに関わろうとしてやってらっしゃる方や、本気でどこまでも覚醒した意識に到達したい!と願い、私のセッションを受けてくださった方々は、やはり多くの方が、一人者だったり、もう子育てを終わられた方だったりと、、、自分に100意識を向け、今までの体制から抜けやすい環境をちゃんと設定されているようです。




本来、私たちは産まれても死んでもいません。

身体的にはそういうプロセスを体験することはしますが。。。


ヌーソロジーは、私たちが元々身体という存在ではなく、完全なる意識体(魂)だと認識して、ここに死なない世界=死を生に反転させる意識を思い出させようする哲学や科学、それらすべての学を網羅した宇宙論です。

本来の意識を思い出すため、私たちは一体どういうシステムでモノを見ているのか・・・から始まり、この世界は一体どういう世界なのか!まで、全てを彫塑して浮き彫りにしていきます。

ヒトという存在に焦点を当て、その内部から私たちという存在をいろんな角度で意識的に認識していく、世界初の最先端の理論体系なのです!
(まったく今までのものとは違うので、比べることすら無意味ではありますが)

この体系は、近い将来、今の常識にとって換わり、新たな世界の普遍の秩序になってくことでしょう。

あああ~~!またまた話が逸れて、ヌーソロジーを熱く語ってしまいましたぁ~~!!(笑)



ということで、話がやや複雑で長くなってしまいましたが、、、

この全身全霊で腑に落ちた体感を経験してから、子供への違和感はなくなりました。

家族関係というものに特別感を持ち、表面的には魂を語りながらも、実際はそれをリアルに体感まで落としていくことなく、あくまでスピリチュアルなカテゴリーに留まり、そこを時間をかけてゆっくりと楽しむ集合意識がはっきりと見え、現時点で私とは違う体験を選んでいく人たちを認識することができたのです。

その世界は、どこまでいっても身体が生命であり、物質的に死ぬか生きるか・・・に左右される世界です。。。




私たちは、常に流動的です。

それが最近、特に加速していると感じます。

今はその世界を選んでいても、気づきが起こり、反転する機会は当然あります。


どんな状態でも、起こることは起こりますし、その起こった事は完璧です!

その絶対性を言い切る根拠は、ヌースやカタカムナの『叡智』に触れれば、理解できることです!


あれが良いとか、これが悪いとか、こっちのほうがもっと良いとか・・・そういう世界は、人間の浅はかな知識で判断しているからできる遊びなのだと、理解に至るのです。。。