今日も元気だ!ご飯がうまいっ!!


これが奇跡じゃなくって、一体なんだっていうんだ~!


奇跡は、ここで起こっていることすべて!


でも、今日はそこからちょいと先にいったお話になるかも・・・


おっ!おもしろそ~~と思う方は、は~い一日一回、愛のワンクリック!!


ありがとうございま~~~すっ!!!o(≧▽≦)o




昨日、久々に自分を3次元の周波数に合わせて、確信犯的にその周波数を楽しんできました。


友人と3人でお茶をして、3時間を過ごしたのですが、私以外はバリバリ3次元を愉しんでいる最中の人達だったので、私にとっては本当に不毛な時間でした(笑)



3次元に意識をフォーカスしていると、思考が優位なので、誰かを悪者にして、自分がどれだけ被害者か、自分はどれだけ良い人か、そんなことを延々と話し続けるわけです。


結局、愚痴のオンパレードで、それさえも競わなければ気が済まない・・・みたいな。アハハ


まぁ、それも今となっては懐かしく、私もそういう時代がありましたし、その時はそれを思う存分楽しんでいましたから、全然OK!なんですけどね♪



で、話しをしていた友人の一人が、こういうことを言ったんです。


私はどれだけでも生きたいの!ず~~っと長生きしたいんだ!!と。


おお!それはすごいな~と、一瞬、私は感心したのですが・・・・・


その理由を聞いて、ううう~ん、そうかぁ・・・と、意気消沈してしまいました。



みなさん、彼女がどうしてそう言ったのか、その理由解ります?



彼女はその後、こう言ったんです。


生きているのはいやなんだけど、死ぬのは怖いからもっといや!子供の頃、いつかは死ななきゃいけないと解ってから、ずっと死ぬことがこわくてこわくて・・・



この彼女が言っている死というのは、肉体の死のことであって、思考がそう思わせているわけです。


要するに、肉体の死=思考の死なので、肉体だけが自分だと思い込んでいる彼女は、その思考に支配されていて、こう思うわけです。



本来、私たちの意識には死というものはなく、永遠不滅です。


逆に言えば、思考があるから、個別の生という認識ができるわけですね。



自我、エゴ、思考、マインド、これらは同意語だと私は理解していますが、これらは、この身体を持った世界を愉しむためには必要不可欠なものです。



私は脳科学者ではないので、私が自動書記のように絵を描かされている時の脳の状態は解りませんが、

思考はかなりぶっ飛んでいます(笑)


思考の働きの一つである、記憶があまりないということが起こるからです。


所々、微かな記憶はあるのですが、でも殆どは、なにがなんだか判らないうちに、絵を描き終えていたという現象・・・


これが、自分の思考が無い状態・・・個という感覚が無くなって、ただ在るという感覚のみの状態なわけです。


こういう時は至福の感覚に包まれ、とにかくすべてが有難くって、幸せ・・・3次元で体験する、幸せの度合いを遥かに超えた感覚を体感します。


ワンネス体験等が、これと同じ感覚です。



この段階の次元の意識を体験すると、一種の目覚めの体験なので、この地球ゲームを愉しむために使ってきた自分に対しての無価値観、罪悪感が崩れ始めます。


何かをしていてもいいし、何もしなくてもいい・・・後付けの条件などではなく、ただ存在するだけで素晴らしいんだ!ということを想い出してくるのです。


ですから、日常の生活ももちろん変わってきます。


執着、嫉妬、犠牲的思考、自己否定等々、それらの今までの粗い概念や信念の周波数から抜けていくため、価値観が変わり、自己の本来のパワーを取り戻し、制限がどんどん外れていきます。



でもね、これって、正直、ちょっとつまらなくなっていっちゃうんですよね。


くだらないことにリアルさを感じて、一喜一憂していた頃の方が、面白かったんじゃないかな~とも感じるわけです。


常に条件に左右されない、感謝や歓びは伴うようにはなりますが、自我の超活性化で体験できる地球ゲームもなかなかオツだったのかも・・・って。


あ、でも、それは今この意識になったから、感じられることであって、3次元に焦点を当てていた渦中では、この視点はないわけですから・・・そう考えても不毛なんですけどね(笑)



今のこの意識になったら、次は、この意識の次元でのドラマが展開されていくわけで、それは創造に還るまで延々と続くわけです。


究極、光の存在に近づくに従って、もちろん身体は所有しなくなるなっていくわけですから、今の個という感覚は薄れ、すべてはひとつに還っていきます。


地球での体験は、バーチャルなゲームですが、体験することすべて、本当に貴重で、奇跡的な体験です。


覚醒してくると、このことが腑に落ち、確かな実感を伴って感謝に変わってきます。




最後にこれだけはお伝えしておきたいな~って思うのですが・・・


私たちは、元々、目覚めている存在です。


覚醒していないというのは、ただ、そういう自分の本質を忘れてしまっているだけのことです。


ですから、どんな人も、本来は、パワーも叡智もすべて兼ね備えた完璧な存在なのです。



病気の人は、自分は病気だという概念を、貧乏な人は、自分は貧乏だという信念を、ただそういう状況を体験として愉しんでいるだけです。


それが、地球でしかできない、地球特有のゲームなのです。



この先生について、何かを学ぶとか(本当は学ぶことなんてないですが)、スピ的に眠っている人は、チャクラの調整、ヒーリング、瞑想をした方がいい等々・・・これらすべて、眠っているからできることです。


本当の自分を忘れた眠りのゲームです。



自分と他者との関係性は常に平等です。


それ以外の関係性はありえません。


ただ、ここに生まれてくる前に、体験のために約束してきたという関係性のみで、お互いが存在しているだけです。


ですから、覚醒して自分に完全にパワーを取り戻してしまうと、そういうことはできなくなります。



スピリチュアルという名目の下、目覚めることが重要で、そうならなければいけない、またはそうなった方が良い・・・と説いている人は、本当の意味で覚醒していません。


スピ的角度の眠りをやっちゃっています。


だって、どこまでいっても遊びですから、良いとか悪いとかないんです。



それをやりたいか、やりたくないか・・・シンプルにただそれだけです。



あなたがそれをやりたい!それに惹かれる・・・というなら、思う存分やってください。


でも、そうじゃなきゃいけない!とか、それをやることが正しい!とか、そういう思いが根底にあるのなら、それは思考に呑まれています。


本来のハートで感じるあなたではなく、頭の脳みそがそう思わせていて、あなたは思考に支配されているのです。






《 創造の目 》


 



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