昨日のアメンバーの方の記事に、TVは観るな!という内容の記事があった。


それを読んで、何人かの人がいいね!をしていたが、果たして、その記事に賛同した人のどれくらいが、その後、TVを消したのだろう。




私は10年くらい前にテレビを捨てた。


昨日の記事のように、TVは悪いもの・・・という意味で捨てたのではない。


何とはなしにいつもTVをつけていて、繰り返し同じことを報道したり、いつも似たような内容のバラエティーに、くだらなさを感じたからだ。


考えてみると、TVをつけるのは当たり前、TVを観るのも当たり前、常に理由なしに、当たり前の感覚をつかっている。



私にとって、TVって一体なんだろう・・・


TVになにを求めているんだろう・・・?


自分を静かに見つめて返ってきた答えは、ただ寂しさを紛らわしたいだけ・・・だった。


当時、私は一人暮らしだったので、その寂しさをTVでごまかそうとしていたのだ。


でも、寂しさが解消されることは一度もなく、むしろ、そんな自分に対して虚しさが募るばかりだった。



TVがサブリミナル効果を使って、人をコントロールするとか、間違った報道でみんなを騙しているだとか、TV を悪者にしているけれど、それを欲して観ている人がいるから、TVの世界は成り立っているのであって、誰かを悪者にして、自分を正当化するのは、自我(エゴ)の思考の特徴だ。


TVを観ない方がいい・・・という意見には、もちろん私も賛同するが、私がそうだ!と心底思える本当の理由はこうである。



あなたが、例えばニュースを観ている時、その事件は、あなたの現実には本当は起こってはいない。


でも、それを観てあなたは、まぎれもなく今まさにそれが起こっている!という錯覚を覚える。


これが、自分を取り巻く現実の世界だ、と思い込むのだ。


例えば、子供の誘拐事件の報道を観たとする。


そうすると、あなたに子供がいた場合、あなたは子供に、知らない人にはついて行っちゃだめよ!と言う。


更には、人を見たら怪しいと思え!とか、人を信用するな!などと、どんどんエスカレートして、世の中は危険がいっぱい!という思考になる。


ニュースを基に、あなたはこういうもんだ!と設定しているので、真実がまったくみえない状態になるのだ。


こうやって、更なる分離感が起きていくのだが、自分がそういうイメージの虜になっていることに、本人は全く気づいていない。



はじめから外側はこうだ!こういうもんだ!と設定すると、それ以外の世界は存在しないことになる。


制限に満ちた世界の完成だ!(笑)


他の可能性は無いのだから、当然あなたには他の選択肢はなく、この狂気の世界で生きていくしかないと思う。(これも、本人は無意識に受け容れているのだが)


当たり前に、ここしかない・・・と思っている人間の恐怖と不安を煽って、コントロールすることは容易い。


こうやって、意識をコントロールされた人間が出来上がっていく。




もうひとつ例を挙げてみよう。


原発に関する報道を観て、自分の住んでいる日本で、こういう大変なことが起こっている・・・と認識する。


その時点で、あなたは自分の現実にその状況を呼び込んだことになる。


あなたは、今まさに問題を抱えた日本に住んでいる・・・を自分で選択したのだ。



でも、果たして本当にそうだろうか・・・


自分が、その現場にいない場合、TVを観てそういう気にはなっているが、本当にあなたの現実にそれは起こっているだろうか・・・



今、私はPCでこの文章を打っているが、ふと窓の外に目をやれば、そこには穏やかな日差しが射し、木々は風に揺れ、春の花が咲き乱れている・・・なんとものどかな風景が広がっている。


それが、今の私の現実だ。


自分が目視できる範囲ではなにも起こっていない。



何度もこのブログで書いているが、自分の現実は自分が創造している。


物理(量子力学)の世界でも、人の意識が物事の結果を決定することは、もう多くの人が知っている既知の情報である。


要するに、私たちの思考の波動はそれだけパワフルで、そのパワフルな波動がこの世界を創造しているのだ。


もちろん、言うまでもなく、あなたもその一端を担っている一人である。


あなたの思うこと、考えることすべて、世界の創造に必ず影響を与えている。



そして、すべてが生まれてくる創造の源は、その思考を忠実に現実化してくる。


あなたが、TVの情報を観て、それを真実と受け容れ、それが問題だと思えば、その思考はそのままこの世界の現実となって現れてくるのだ。


すなわち、それを問題だと思う人が、更なる問題を創り出しているのである。



私たちが生きている外側の世界は、初めから存在するわけではなく、私たちが生み出す思考の産物なのだ。


あなたという存在が、地球上の人間という存在である以上、まぎれもなく世の中に関与し、自分の創造エネルギーを注ぎ、この世界の創造に参加」している。


だが、3次元にフォーカスしている人々の意識は、まったくそんなことに気づかない。


こうなったのは誰だれのせい。


これがあるから、悪いのだ。


この政治が、この国が、、、と、自分を正当化するために、果てしなく悪者を創り出す。


その思考が、世の中をどんどん悪くしていると気づかずに・・・




この二元性の世界で繰り広げられている分離のゲームは、バーチャルがキーワードである。


生きている感覚はあっても、本当の自分を生きてはいない。


常に自分を確認するために、対象物を必要とし、それとの比較によって、自分の幸せ度を測る。


条件付きの幸せに依存しているのである。


そして、TVは最も手っ取り早く、その対象物を提供してくれる。



TVの中で不幸そうな人、大変な状況にいる人を観て、可哀相と多くの人は当然のようにその言葉をつかう。


しかし、その言葉の思考の裏側に存在しているのは、そういう人と自分を比較し、私は大丈夫、私はそんな風になっていないから、幸せだ・・・という優越感である。


そもそも、可哀相という言葉は、自分が上で相手は下という感覚がなければ出てこない言葉だからだ。



愛、慈悲の心で心底そう思うのなら、マザーテレサのように、その思いを行動に移せばいい。


だが、大抵そうはしない。


TVを観て、可哀相と感じた自分は良い人という感賞に浸っているだけである。(それさえも無意識だが・・・)


そして、そういう偽善的な自分をごまかすために、人は、あえて良い人のフリをするのだ。



しかし、これらすべては、その人本来のものではない。


長年のすりこみによる、自我の思考に操られた、無意識の自動行動なのである。



この状態に気づかずにいる・・・そういう状態が、3次元の意識状態である。




さて、あなたはどうですか?


TVを捨てられますか??



でも、そのTVが面白いと感じてるうちは無理だよね・・・


だって、おもしろいんだから。。。


アハハハハ!!










読者登録してね   


アメンバー募集中