ファンタビことファンタスティックビーストの応援上映1部に行ってきました。
経緯としては元々ハリポタとファンタビが好きで好きで、ファンタビに至っては8回映画を見に行く程大好きで行きたかったけど声優登壇で倍率は跳ね上がり先週のチケット争奪戦に秒速で敗北。
諦めきれず前日にチケット余らせている方を探しお声がけしたところ、心優しい方がチケットを譲ってくださり幸運にも応援上映に行けることに。

正直今回の応援上映はシンゴジラや貞子vs伽椰子など今までの応援上映とは全く以て別物であり特殊で、色々考えさせられることがあり悔しかったので勿論これから応援上映の参加を考えている方のためもあるけど、忘れっぽい自分が忘れないよう、後でまた読み返せるように書き残しておこうと思った次第です。

(本当はTwitterに愚痴として書き残そうと思ったけど、Twitterで人様から譲っていただいたチケットで鑑賞してわざわざTwitterで文句を言うのは譲ってくださった方に失礼な気がしたのでこっちで独り言として書く)

とりあえずファンタビ応援上映に参加した感想をずらっと書くけど、割と否定的な発言も多々あることを前述しておくのでウキウキワクワクなイベントレポートを期待している方は注意。あと起承転結ガン無視のくせに感情的だしめっっっちゃくちゃ長い。



私が参加したのは17:30からの回で、声優登壇は映画上映後。座席は中列の中央寄り。人気イケメン声優登壇とあって劇場はほぼ満席。さすが5分弱でチケットが完売しただけはある。私の左隣は終始空席だったが聞くところによれば多くのチケットが高値で転売されていたらしいので、もしかしたら転売の末に買い手がつかなかった座席なのではと思っておくことにする。

スクリーン入場後、スタッフから劇中で使用された呪文一覧が印刷された紙とホコリ叩きのような形でメタリックテープがビラビラついた応援グッズを手渡され、毎度撮れ高ほしさでいかにもテレビ的だな~と思っていたら案の定メディアの撮影用カメラが舞台下手側にスタンバイしており、上映終わったら口紅だけでも塗り直さなきゃと思っていた矢先。

まさかの声優サプライズ登場。

チケット争奪戦当日に検索かけたときから気付いてはいたがやはり大半が宮野真守さんのファンらしく、1部は上映後の登壇と聞いていたためまさかの登場に会場は大パニック。
いやあの大丈夫?上映これからだよ?声出なくなるよ?落ち着け?と思いつつ私も有名な声優さんの突然の登壇に大騒ぎ。ちなみに2部の回にメディアカメラは入っていなかった模様。

そしてサプライズで大歓声というウォーミングアップを経てようやく本編映像上映に。STOP映画泥棒と題しキレキレのダンスを踊るビデオカメラとパトランプの音楽に合わせて早くも応援グッズとペンライトを振るオーディエンス。
上映前の宮野真守さんの質問で今回の応援上映1部にファンタビ初鑑賞の人が半数近くいることが判明したが、本当は和にペンライトを振っていられるのは今のうちだということを今日初めて鑑賞する人はまだ知る由もないだろう。

2時間弱の上映を終え、一息つく間もなく上映前から空席を保たれていたA列B列の座席に記者やカメラマンが雪崩込むように押し寄せた。人数は確か15~20人程度だったように記憶している。マイクテスト後、声優が再び登壇しフラッシュ撮影からフラッシュなし撮影に切り替えて挨拶とミニトークが繰り広げられたがこれがまた楽しかった。
ここだけの話、声優登壇なんて正直どうでもよかった私も思わず大爆笑。最後に客席込みの写真撮影と、声優の「ファンタビ~?」コールに対して「最高ー!イェーイ!」のコール&レスポンス動画を撮影し、声優登壇付き応援上映は拍手喝采の嵐に終わった。(撮影された動画や写真はファンタビ公式Twitterアカウントをチェック!)

大まかな(?)流れは上記の通り。

率直な感想を言うと、ミニトークは非常に楽しかった。ただ同時に虚しくもなった応援上映だった。

勿論グッズ持ち込んだりコスプレしたりコアな映画ファンは何人も見られた。でも今回の応援上映はファンタビファンのための応援上映ではなく、宮野真守ファンのための応援上映になってしまった。
チケット買えたツイートをしていた方の殆どは宮野真守さんのファンばかりだったから勿論宮野真守さんのファンが多く来ることは覚悟のうえだったし、私は宮野真守さんのファンを批判しようとは一切思っていない。これ大切。
映画通常料金だけで映画が見られて更に好きな声優が挨拶で登壇するんだからそれはもう来て当たり前というか、私が逆の立場だったとしても好きな声優さんが間近で見られるならやっぱりチケット買ってしまうだろう。もうそれは声優ファンからしたら至極当然のことで、何ら悪いことではない。

まず根本的に一度でも映画を見たことがある人ならご理解頂けるだろう、ファンタビ自体が明らかに応援上映に不向きな類の内容でやはりその旨を指摘していた人は少なからずいた。
そこは私も承知のうえだったし、多少ツッコミ所に欠ける作品でも映画ファンだからこそ醸し出せる謎の一体感や内輪独特の、特定のシーンで盛り上がるあの空気に浸りたくてどうしても行きたかった。しかもテレビサイズではなく大きなスクリーンで見られる。私にとってはあくまでもオフ会や鑑賞会の延長線上にいる感覚で、応援上映というより声出し上映という感じ。ペンライト振って「ウエーイww」とか「フゥ~www」とか言いたかっただけ。
そんなこんなで応援上映に不向きな作風にも関わらずファンタビの応援上映が決まったことすら不思議なのに更に声優登壇ときたら察しがいい人はお気付きでしょう。

前述したように宮野真守さんのファンが今回の応援上映の大半を占めていたが、やはり声優がいなければ空席ができてしまう。
今回、映画上映前に司会の方からファンタビの世界興行収入が50億円を突破したという嬉しいお知らせがあったが、今回の応援上映の宮野真守さん効果も少なからず影響しているんだろうなぁと思った。
もちろん一映画ファンとしてこんなに嬉しいことはない。純粋にびっくりしたし。むしろ今回初めてファンタビを見てファンが増えて、更にリピーターも増えればそれこそ御の字だなぁと前向きに思いたかった。

でも応援上映が始まってまだ序盤、私は持参したペンライトを1本振ってたわけだけど、ふと右隣を見たら入場時にもらった呪文一覧カードで眩しいと言わんばかりに私側に盾を作って顔を覆う女性。

えっこれペンライトOKのイベントだよね?あれ?

文字にすると小さな出来事に感じられるけど、すごくショックだった。だってそういうイベントでしょ?声出しまくってペンライト振ってガハガハ笑っていいイベントでしょ?

私は中央座席だったので正直後ろ側の座席がどうだったのかはよく分からない。もしかしたら前側と違って後ろは自由にペンライト振って騒げたのかな?

で、更に映画中盤あたりで同列の一番左端の座席(左の通路側)に座ってる方をちらっと見たら上映開始直後は持参したペンライトを2本振っていらしたけど、シリアスなシーンで入場時にもらったホコリ叩きのようなポンポンでペンライトを極力隠すようにしたり足の間に挟んだりしてて、そこで左右見渡したらみんなさっきまでペンライト振ってたのに下に降ろしたり電源切ってる方も割と見られた。

もう何度も言うように応援上映に向かない作品故、ペンライトを振りにくいしペンライトを持っているだけで浮くから仕方ない。私の右隣の女性もポンポンもペンライトも振らない声も出さないでずっと腕組んで地蔵キメてたし。まあそれは個人の自由だけど、だからこそペンライトは凄く浮いた。周りが下げてる中私だけペンライト出すのは何となく忍びなかった。日本人の性かな?(違う)

ただ本当に、単刀直入に言うとファンタビ応援上映を目的に来ている人だけではなかったのでめちゃくちゃ気を遣うイベントだった。
半数近くが初見で、「大丈夫!後で見つかるよー!」とか「後ろ来るよー!気を付けてー!」とか、先を読んだネタバレ発言がしにくいことに加えて、映画が進むにつれて段々とみんなの口数が少なくなり、誰か一人が「そんなことないよー!」「頑張れー!」とか声を出すけど静寂すぎて浮く。大やけど。なんかスベったみたいな空気になる。そして次第に誰も声を出さなくなる。もう劇的にこの映画は応援上映向きじゃないなと痛感した。

まあ勿論声援もペンライトも運営側から公認されているからチケットを購入したと同時に声出してペンライト振って好き勝手やっていい権利を買ったことになるし、何一つ気を遣う必要なんて本当はない。でも凄くやりにくかった。
きっと声優さんのファンの中にも映画未鑑賞なのに声優さん目的で参加することに若干の抵抗があったり我々ファンタビファンがよく分からないポイントで茶々入れて盛り上がって温度差を感じた方もいるかもしれないけど。

そして序盤でも書いたけど、これは結局誰のためのイベントなのか?というところ。
ファンタビの応援上映なんだからファンタビファンがワイワイガヤガヤするためのイベントのはずなのに運営側が声優登壇をぶっ込んでしまったがためにファンタビをよく知らない声優ファンと純粋に騒ぎたいファンタビファンが同じ空間に混在する事態になってしまった。

でね、本当に私は100回でも言うけど宮野真守さんのファンを叩きたいんじゃないわけ。眩しいからって顔を覆った右隣の女性も宮野真守さんのファンかどうかは分からなかったし宮野さんファンだとしてもそれは本人の人間性の問題であって、「これだから宮野真守オタは」って言うのは違う。
宮野真守さんのファンの中にも勿論ファンタビを予習したりうちわを自作して持参された方もいたし、レディースデー料金1,100円でみんな大好きな宮野真守さんが見られるんだもの、そりゃあみんなチケット買うのが道理でしょって。

非があるとすればファンタビが応援上映に不向きでこういう状況を少なからず予想していながらそれでも期待して参加した私自身と、客寄せに宮野真守さんをぶっ込んでしまった運営側にある気がする。

私が異を唱えたいのは企画側運営側の下心丸出しなやり方。

今回の応援上映に限らずアニメや声優イベントでは大物ゲストで客寄せを謀るやり方はよくあることでそういう打算的なやり方が全て悪いとは言えない。セコいだ何だと言っても打算的だからこそ成功したイベントは幾つもある。
でも打算的手法を使ったことによって今回の応援上映は温度差が浮き彫りになってしまった。今回の応援上映はまだ良かった方かも知れない。ぶっちゃけそんなに死ぬほど酷い応援上映ではなかったし。だからこそまだ酷くない今のうちにこういうのはやめてほしいし、こういうのを野放しにした先にきっと映画ファンと声優ファンが互いに気を遣うだけの中身のない応援上映が出来上がってしまうんじゃないかなぁとビクビクしている。

正直声優目当てではなかったけどミニトークは本当に楽しかったし見られてよかったと思う。でも主役は映画の応援上映であるべきで、声優のトークであってはならないと思う。
それに声優ファンにお金を落としてもらいたいなら通常上映に舞台挨拶を付けるのでも客足は取れたはず。わざわざ声出しに不向きな映画をチョイスして応援上映に声優を登壇させ、声優ファンと映画ファンが混在するカオスな空間はファンタビで止めにしてほしい。

私にチケットを譲ってくださった方も純粋なファンタビファンの方で体調不良で参加できなくなってしまったとのことで譲っていただけたわけだけど、きっと私以上に応援上映行きたかっただろうに手放して譲ってくれて、そのくせ私は人様のチケットで参加してグダグダと文句ばかり、本当に物凄く申し訳ない気持ちで胸がいっぱいだけどそれでも嘘でも居心地良かったとは言い難い空気だった。
あれで上映終了してから伊藤さん宮野さんの面白トークがなかったら何となく虚しいまま帰宅することになってた。結果的に声優さんのトークに救われた。

もうどうか企画制作側運営側は周りに気を遣うような応援上映を作らないで下さい本当に。
明らかに不向きな応援上映に何でもかんでもゲスト登壇を付けるんじゃないぞ。ペンライトは振りにくいしやたら発言すると空気は凍るからな。

長々しく書いたけど支離滅裂なのは勘弁してほしいのと、宮野真守さんとそのファンのことは大好きなので誤解なきようお願いしたいです。

最後に
ファンタビ応援上映について散々ディスったけど、ファンタビの映画そのものは物凄く面白いのでまだご覧になっていない方は是非一度見てみて下さい。字幕で演者本人の声を聞くのも、吹き替えで見るのも楽しいのでおすすめです。個人的にはグレイブスの吹き替えを担当されている津田健次郎さんが凄くいいお芝居されてるので好きです。あと魔法動物めちゃくちゃ可愛い。ウクライナアイアンベリー種も名前だけ出てきますぞ。ポタクラさん必見です。
最後の最後に宣伝しましたが私もクーポンが届いたので週末もっかい見ます(10回目)

クソみたいな愚痴を長々と申し訳ないです。最後まで読んでくださりありがとうございました。
つい先日、梅雨入りも目前という時期になり湿気嫌だなぁ髪切ろうかなぁとかそんなことを考えていたところ、舞台観劇・イベントの在り方ついて改めて考えさせられる事案があったため久し振りにブログを更新するに至った。(本当はアメブロもう使うつもりなかったんだけどなぁ。)

自己満足用の吐き溜めブログを他に読む方がいるとは思えないが、あくまでも私個人の見解であるということを念頭に置いて子守唄を聴き流すかのようにさらっと見ていただければと思う。(要約すると卒倒するレベルで長文な愚痴)


事の発端は私の高校時代の後輩が初めて2.5次元舞台を観劇しに行くことになったという相談を受けたところから始まる。(後輩ちゃんも私に相談なんかしなければ小一時間説教なんて受けずに済んだものを…)
単刀直入に話すと、後輩が「コスプレで観劇することにしたので型紙の取り方を教えてもらえないか」と相談してきたのだ。
勿論舞台のコスプレ参戦はタブーとされているが、我々俳優オタ界隈ではポピュラーで残念ながら正直ちょくちょく耳にする話ではある。また、コスプレと言っても「ウィッグはつけてないし!」「会場までは私服だし!」なんて声も見かけるが、公式ジャージ、ユニフォームを羽織った状態のみでの観劇も「コスプレ観劇」に含まれると覚えておいてほしい。(そもそも会場まで私服で来られるならそのまま私服で観劇しろよ感)

実は私もテニミュ関東立海公演や氷帝公演で上下ジャージに帽子を被って座席に座っている人を何度か見ているが、コスプレ観劇はTwitter上の都市伝説とばかり思っていたので実際にこの目で見て身近にいることに驚愕した記憶がある。

脱線したので話を戻すが、後輩曰くTwitterのフォロワーがテニミュにユニフォームコスプレで参戦し自慢していたのを見て真似したいと思ったらしい。まあ当然咎めるわけだが私の注意が癪に障った様子で「別に誰に迷惑かけてるわけでもないし自由じゃないですか」と言われた。確かにそうだな、間違ってはいない。

だがしかしコスプレがTPO、その場にそぐわない、カジュアルな服装の中にコスプレがいれば1人だけ浮くことなんて言わずもがな。(正直そんなに親密なわけでもなかったので後輩が悪目立ちしても私には関係ないしむしろ盛大に恥かいて学習して来いというのが本音。)

じゃあ何で止めたのかというと前述の通り場の空気にそぐわなかったり周りが不快になるという一般的理由も勿論、私には観劇時の服装は役者や劇場への敬意表現の一種という考えがあるからだ。

冠婚葬祭において正装を着用するのが追悼や祝福の意思表示であるのと同じように、観劇における服装もまた敬意を表す手段の一つだと私は考えている。しかし敬意と言っても実際に華美なドレスやタキシードを着用しなければ入場を断られるなんてのは海外の超一流オペラや名門劇場ぐらいで、日本の観劇マナーにおいて重要なのは「場の空気に相応しい服装」と「清潔感」であり必ずしもドレスコードを要求されるわけではない。(現にワンピースやスキニーデニムなど観劇の服装は多種多様。)

例えば身内の葬儀に純白のワンピースを着用して参列したとする。私の後輩が言うように(不謹慎ではあるが)どんな服装を着用しようと個人の自由であり、加えて白のワンピースが誰かに迷惑をかけているわけでもない。だが、前述した通り冠婚葬祭において服装は感情表現ないし意思表示のツールである。コスプレが愛情表現の一種だと豪語する人もいるが、葬儀で白い衣服を着用すれば「追悼の意思がない」と解釈されるのと同様に、舞台は冠婚葬祭の祭に附属し、観劇時の衣服は歴史ある劇場及び作品・役者に対する意思表示と周囲に解釈されるのを覚えておくべきだろうと私は思う。

まあそんな小難しいことを言っても絶対伝わらないので簡潔に
「やりたいなら自由にやればいいけど後輩ちゃんが愛情表現のつもりでも明らかにその場に相応しくない服装で行けば劇場、作品、俳優に対してその程度の軽い気持ちしかありません遊びに来たんで真剣に観る気ありませんっていう意思表示に捉えられてもいいってことになりかねない。正装して観るに値しない舞台って解釈されても文句言えないよ?いいの?」
とだけははっきりと伝えた。

最近では自作衣装を着せたダッフィーを劇場に持ち込み膝上に乗せて観劇する輩が後を絶たないがこれも同義であり、我々は芝居を「見る」立場で、役者は芝居を「見せる」立場だ。我々は「見せる」立場ではなく、自己主張をして良い立場でもない。スポットライトは舞台に立つ人間にのみ浴びることが許されている。こういった相互関係が反覆しつつある現状を我々はもっと真摯に受け止め認知すべきなのだ。

また、先に何度も述べたようにコスプレはあくまでも「自由」の一つであり、最終的にするかしないかの判断を下すのは第三者ではなく自分自身だ。故に勿論我々に法的手段を行使してコスプレをやめさせる権利は微塵もないし、コスプレ観劇をする意思が揺るがないのであればそれより先は我々が干渉すべきでないとも思うが、先述した服装が他者に与える印象や重要性を判断材料の一つとして念頭に置いておいてほしいというのが私の意図するところである。


それから私がもう一つ書いておきたいこと。近年男性アイドルや男性声優界隈に多く見られるの「ライブ・コンサートの歓声自粛強要」だ。
ライブやコンサート中「不必要な歓声があった」「コール(合いの手)がうるさい」「その声掛けいらないですよね?」などといった不満をTwitterで拡散することを指すが、Twitter上ではこうした統治ツイートを「学級会」と揶揄したり批判することがある。

これから明記する歓声自粛強要の発端は声優Hさんのワンマンライブまで遡る。私自身Hさんファンではなかったが、当日ライブに参加したフォロワーのリツイートで偶然歓声自粛強要ツイートを見るに至った。
140文字に収まりきらなかったと思われるがスクリーンショットで長々と「ファンの声がうるさかった」「水飲んだHさんに対して“水美味しい?”って問いかけいらないですよね?」「Hさんサイドに迷惑かかるのでやめてください」と綴られていたのだがどうにも言葉に出来ない違和感を覚えた。

主観的に見れば言いたいことは理解できる。「自分以外の女の声がうるさいので静かにしろ」そういうことだろうと思う。残念ながら私はライブに参加できなかったため当時の状況を把握することは難しいわけだが、間違ってもトークショーではないのだ。ライブにおいて歓声があがるのが常であり、歓声やコールがあってサイリウム(ペンライト)が視界に入る、そういった点はH氏のライブに限らず音楽フェスであっても同様に了承して参加しなければならない。
勿論限度を超えない範疇での話だが、つまり然るに自らライブ会場に足を運んでおいて歓声にいちゃもんをつける高圧的姿勢が私には理解しかねるということだ。
何よりH氏の件も含め、「周囲を動かして自分自身は一切動こうとしない」という点は近年多く見られるタイプなのでこの機に言及しておきたいと思う。

例えばお洒落なバーに入ってきて周囲の客に「酒臭いからお前ら酒飲むな!」と指図しておいて当事者は帰る素振りもなく平然と居座っていたら誰でも違和感を覚えるだろう。
つまり

「テメーが帰れや!!」

こういうことになる。

「歓声がうるさい!」「合いの手バラバラでむかつく!」「サイリウム邪魔!」「その掛け声必要ないですよね!?」


「テメーはお家帰ってCDでも聞いてろバーカ!!!!」

こういうことになる。

トークショーでもなしにファン全員が都合良く黙りこくって棒立ちしてるライブコンサートがどこにあるのだろうか。(だいたい全員で無言地蔵している方がアーティストにめちゃくちゃ失礼だと思うけど。)
つまりライブであれバーであれ、利己的意思の下にある正義は正当化された悪と同じだと私は思っている。紛い物の正義で他者の自由を殴り倒しているだけにすぎない。若者とは良くも悪くもエネルギーに満ち溢れていて正義感には滴る程の油が染み込んでいるが、そういった人は一度正義感に火を焚き付けられると瞬く間に燃え上がり正常な判断力を失う。エネルギッシュであればあるほど感情論に左右されやすく、デマや正当化された悪に染まりやすいのだ。

私が学生だった頃の経験からしても火がついてしまった以上鎮火することは困難だと重々理解している。だからこそ間違った正義感は他者の自由を殴り倒す凶器になりうるということは頭の片隅に置いておいてもらたいものである。


追記

許容範囲は個々で違うので非常に難しい問題だが、もしコスプレ観劇を見かけてイラついてもライブ中に出しゃばり女に遭遇して殺意芽生えても世の中は双方どちらか一方の我慢があって成り立っていることも忘れてはいけない気がする。
拝啓1年前の私

俳優が大好きで大好きで追いかけるように学業を疎かにしてまで毎月毎月観劇をしていた私

そんな私に物申したいことがある。



今回こんな日記を書くに至ったのは俳優ファン、俳優クラスタを自称していた過去の自分への戒めとして何かを文字にして残しておきたかったから。実際には不可能だけど、出来ることならこの日記を過去の自分に見せてやりたかったから。


思えば私が若手俳優さんにはまってから早6年。当時はまだ主流ではなかったテニミュ。友人のすすめで1st公演を知り、板の上でキラキラ光る俳優さんに心を奪われた、(夢小説のようだが)まるで恋のようなあの感覚を今でも覚えている。
あの頃のテニミュといえばクオリティこそ低かったものの、まだ右も左も分からないような俳優さんたちが初めて舞台に立ち、千穐楽を迎えそれぞれの道を歩み始めるまでの成長を母のような目で見守るのが私の楽しみだった。

そんな私が初めて観劇した舞台はもちろん大好きなテニミュで、アルバイトの初任給をはたいて2nd関東立海公演を友人と観劇した。これが俗に言う“沼”への第一歩だったんだなぁと今にして思う。
あの日あの時の公演は思い返してみても95%が忘却の海まっしぐらで記憶に残っているのは小越くんだとか輝馬さんだとか、若手イケメン俳優の飛び散る汗とカーテンコールの笑顔だけ。


今だから言えるがはっきり言って演技なんてほぼ見ていなかった。クソか。

でも当時はそれでよかったんだと思う。それでも当時の自分は楽しくて幸せだったんだと思う。

それからというもの毎日毎日起きて第一に俳優さんのブログ、通学時間にテニミュブログ、休み時間に俳優雑誌、お風呂に入りながらテニミュ動画、寝る前に俳優さんのメル画(当時はまだLINEよりメールが主流だった)を見る俳優漬けの生活が始まる。

この頃はまだよかった。だってネット閲覧をしているだけだから。(と言っても当時のネット月額利用料は1万円を軽く超していたけど)

そんな俳優大好きクソオタな私がより一層俳優にのめり込むようになったのは2014年頃から。この頃からテニミュは勿論、テニミュを卒業した俳優さん、ミュキャスさんを追いかけるためテニミュ以外にも様々なお芝居を観劇するように。

テニミュ映画祭、ママ僕、テニミュ運動会、全国立海、ライビュ、にゅねころなど他にもテニミュのイベントやら公演は積極的に参加するようにしていたクソオタの私。勿論DVDやグッズにも抜かりなく手を出した私。そして高卒後のアルバイトで得た資金と毎月のお小遣いをあれだけ必死に貯金して、1年も経たないうちに底をつく事態に。さすがに通帳を見て冷や汗が出た。

2014年が私の中の俳優ピークだった、と思う。

当時の私は俳優を生で見ることしか頭になかったし、命を懸けていたと言っても過言ではなかった。それこそ、俳優さんたちの一生懸命な姿とあの臨場感さえ味わえたら他はどうでもいいと本気で思って授業をサボりながらも劇場に通っていた。

当時はそれでもよかった。それで当時の私は満足していたしあの頃は幸せだったと思う。

「(芝居下手でも)みんな一生懸命だったから良し」

当時の私の口癖で、お芝居を観るたびに何度もこの言葉を用いた気がする。ぶっちゃけこの俳優さんキャラに似ていないなって思っても客観的に見てクオリティ低いなって思ってもそれで済ませていたし、それこそただのクソオタのご身分で偉そうに上から「俳優さんが頑張ってりゃ何だっていいんだよ」、終いには「似てるってそんな重要なことなの?」なんて言った記憶もある。そうやって甘い評価をすることが俳優さんのためだと思っていたのだ。

それが正しいと思っていた。


だけど残念無念、時間というものは刻一刻と過ぎていくものでとうとう私の大好きな大好きな2ndテニミュが幕を下ろすことになった。2ndの最後の舞台はさいたまスーパーアリーナ。ドリームライブ通称ドリライ。念願のドリライに2日続けて参戦した私は2ndの最後に立ち会えた喜びと喪失感でマスカラ真っ黒な涙で顔面をぐしゃぐしゃにしながら座席に腰を下ろし泣き崩れた。

2ndの幕開けから最後まで共に寄り添ってきた(つもりの)私は、かっこよくて大好きな大好きな小越くん他テニミュキャストの卒業による虚無感と喪失感に呑まれ、金銭感覚の崩壊と学業への悪影響を考慮し、これを機に翌年以降当分の間観劇を控えることになる。
(当初は観劇自粛したことを多少後悔もしたがテニミュの幕引きで考えさせられることがたくさんあり、頭を冷やすいい機会になったと改めて思う。)






ここまでつらつらと自分の過去を書き殴り怒涛の俳優オタ人生を振り返ってみたが私の過去の参戦履歴や学業ボロクソになった話、ドリライマスカラボロクソババア話とか資金が底をついた話は正直どうでもいいのだ。

そんなことはどうでもいい。

そろそろ時系列を現在に戻そうと思う。

冒頭で私はこの日記を書く理由を「自分への戒め」だと書いたが、自分への戒めを残そうと思い立った理由が実は他にある。

それはTwitter上での出来事で、とあるユーザーが2.5次元舞台に関する話題で「似ていなくても俳優が頑張っているから」「作品に愛を持っているから」と周囲に推奨するツイートを投稿していたことに疑問を持ったからだ。

疑問に思ったのは2.5次元を推奨したことではなくその投稿内容だったが、率直に言うとなんだか過去の自分を見ているような何とも言えない気持ちになった。私も過去に全く同じことを何度も呟いたからだ。

きっと昔の私なら「その通り」って言っていただろうが観劇をお休みしている間に私は180度考えが変わったのだ。(もしかしたら135度ぐらいかもしれない)

今やテニミュの人気は日本だけでなく海外進出を果たすまでに膨れあがり、2.5次元俳優、2.5舞台なんていう新ジャンルが生まれるまでになった。
今や若手俳優最盛期と言っても過言ではない時代で俳優沼に片足突っ込んでしまった人も右肩上がりに増えていることかと思う。

俳優がアイドル業になりつつある今、「○○くんきゃわたんつらみ~;;」「○○担95line同担歓迎!」なんて人も勿論いるだろう。大いに結構。好きにやってくれたまえ。

私の過去のクソオタ遍歴もぶっちゃけそんな感じだ。「ハァまじ中河内様尊き命(合掌)」なんて日常茶飯事で正直今でも顔が美しいだとか歯並びがエロティックだとか言うことは多々ある。

(語彙力がなくて回りくどい言い方をしているが私は顔ファンが悪いと言いたいわけではなく、むしろ顔ファンにわかファンは誰もが通る道でありファン第一歩として重宝されるべき存在だと思っている。正直まだアンチじゃないだけよっぽどマシだ。顔ファン大歓迎。)

いろいろと脱線して支離滅裂になってしまったがそういうことではなく。


舞台の完成度はさておき「頑張ってるんだからそれでいいじゃん」


それって本当に合ってるの?

拝啓1年前の私

聞こえてますか?見てますか?

見てませんよね

出来ることならこの日記を読ませてやりたい(出来ないけど)

先述したTwitter上でとあるユーザーが「似ていなくても俳優さんが頑張っているから」と投稿した話に戻ろう。

ここからは同じようなことを何度も口走った1年前の自分への説教のつもりでだいぶ厳しく物を言うことにする。

2.5次元舞台は何故2.5次元と呼ばれるのか。それは当たり前だが漫画ひいてはアニメ原作ありきの舞台だから。2次元の世界観を3次元化するから。

原作があっての2.5次元舞台で世界観、雰囲気、喋り方、キャラビジュアルが「似ていない」「かけ離れている」というのは致命傷であり、作品タイトルを背負っている以上「頑張っているからまぁ許されるよね」では済まされない。

俳優業はビジネスなのだ。客はお金を払い、俳優やスタッフはその金額に見合った舞台を作り上げる。タダで見せているお遊戯では決してない。
中には原作を知らないが俳優を生で見たくて金を払うという人もいるだろう。初めてテニミュを観劇したときの私もそうだったから分からなくはない。結果的にその金が俳優の懐に入って推し俳優が食べていけるようになるならそれでもいい気がしてきてしまうが、「十中八九俳優目当てだから手抜きでもいいよね!」なんてことにはならない。推しのお財布が大切なら商品券でも贈呈しとけ。そしてその程度の意識なら俳優もスタッフも辞めてくれ。
何度も言うが、原作ありきの2.5次元だ。

また、「俳優さんが頑張っている」「作品に愛を持っている」、これも俳優なら出来て当然のことであり特別視することではないと私は思っている。(一部では作品を馬鹿にしながら舞台に立つ俳優さんもいるが)

勿論それが出来ることは素晴らしいことであり大いに評価されて然るべきことだが、俳優である以上頑張ることも作品に愛を持って演じることも出来て当たり前だ。
正直この話は挨拶出来る出来ないのレベルで「○○くんスタッフにおはようございますって言えてる凄い!」って賞賛しているのとさほど変わらない気がする。挨拶するのが普通なのと同じで俳優が作品に情熱持って板に立つのは出来て当たり前。演技力云々の前にそれすら出来ないなら辞めてくれ。

(先に述べたユーザーさんは勿論2.5次元を広く認知してもらおうと善意で呟いたのであって決して否定的感情を持って呟いたのではないだろう。別にこの方が悪いわけではないしむしろ私の好きな俳優さんを推奨してくれて感謝の気持ちを持っている)

とまぁTwitterでとあるユーザーが投稿していた件はここまでで終わりにする。


そして何よりも私が言いたいこと。

原作からかけ離れていてもクオリティが低くても、(言い方が悪いが)ボロクソ舞台でも「頑張っていたしよかった」という甘い評価


むしろ俳優さんに失礼じゃない?

過去の私に向けてもう一度言おう。
俳優さんに失礼じゃない?

例えば今流行の刀剣乱舞にキャスティングされた佐藤流司くん、大平峻也くん(勿論他にもキャスティングされた若手俳優さんがいるが私はこの二人しか詳しくない)を筆頭に、2.5次元物にキャスティングされた俳優さんたちがよりキャラクターに近づくため、世界観を表現するためにキャラグッズを買い、原作を熟読し全巻揃えてゲームをプレイし、カードゲームまで揃える徹底ぶりを見せているのは分かる人には分かるだろうと思う。

(当たり前だが結果的に「似ているかどうか」の客観的側面と「日頃から舞台に向け努力していたかどうか」の主観的側面はそれぞれ別物として独立していて、客観的評価がどうであれ日頃の努力は当然のことながら評価するべき重要な要素だと思う。)


が、しかし。少しでも2次元の世界観を3次元で表現しようとする俳優さんの努力を尻目に妥協した評価をつけるのはかえって一生懸命な俳優さんに失礼なのではないかと私はつくづく疑問に思う。

ずっと上の方で私も「クオリティ低いけど俳優が頑張ってたからよし」「似てるってそんな重要なこと?」などなど適当な評価をしたと前述したが、今でも思い出すとろくにお芝居を見もしないで顔と汗しか見てなかったくせに上からぬるいこと言って非常に申し訳ない気持ちになってくる。(ろくに演技見てもいないからぬるいこと言ったんだろうけど冷や汗ものだ)


別に「舞台見ました!下手ですよ似てませんね!」なんて非常識な辛口コメントしろとかいうことではない。

今やアイドル業になりつつある時代で推しのお顔見られたらそれでいいや、ぶっちゃけ芝居は出来ても出来なくても関係ないねって気持ちも分かる。昔の私が芝居下手くそでも顔見られるならいいや主義だったから確かに分かる。

しかしながらそういった生ぬるい評価を続ければ俳優業界が堕落しかねないうえ、2.5次元関係なしにより良い作品を作ろうと日々精進する俳優さんの意志に反している気がしてどうしても私は見過ごせない。(やる気欠如した俳優もいるがそういう人は俳優辞めてくry)
だから最近は舞台にしろドラマにしろ感想は出来るだけ自分の言葉で正直に伝えるようにしているし、それが俳優さんにとって原動力の1つになればいいなという気持ちでいる。

(正直なところ、これ以上何でも顔で許されてそのへんの一般人でも誰もが出来るチープな職業になってほしくないからという理由もある)

(それからどこら辺に追記すべきか分からなかったのでここで書くことにするが、世の中には舞台化に不向きな作品が勿論存在するわけで、キャラビやら舞台がボロクソだったからといって必ずしも俳優の落ち度とは言えないということ、舞台化に踏み切った製作側やキャスティング担当にも少なからず落ち度があるということを1年前の私には出来ることなら理解してもらいたい)

ここまで偉そうにつらつらと書いてきたがこの稚拙な文と低い語彙力で果たして1年前の私に伝わっただろうか。(正直私が俳優の何たるかに気付くまであと1年もかかるのかと思うと眩暈がする。)



最後に

今後また舞台を見に行くことがないとも限らない。観劇したときは「顔見えたらそれでいいや」ではなく、俳優さんの魂削った全身全霊のお芝居をきちんと目に焼き付けて帰りたいと思う。