三原です。最近は12月と1月に制作依頼していた曲たち(約20曲)のデモ音源やデモ歌詞が怒涛のように送られて来て、朝起きては打ち返し、昼の撮影合間に打ち返し、夜寝る前に打ち返すというデモ地獄にいます。楽しいです。

 

 

今日は歌のレッスンに行って先生と「売れる」ことについて討論して来ました。そこで考えることがたくさんあったので書きます!

 

夢に向かって走っている途中で、今はどういう段階で何をすべきなのかの話

 

このアイドル活動を初めてからもうすぐ4年が経とうとしてます。今思えば本当に思いつきと勢いで始めたことが良くもこんなに続いているもんだと関心するんですが、その時々にどのように行動をしてきたか。

 

まずゴール設定は「台北アリーナ(1万人規模)でライブをする」ということです。これは早い段階で宣言してしまったので、動かせない目標です。

 

 

・2015年5月〜2016年3月「道を決断するための段階」

この期間は夢の道を突き進むための「決断をする」ための時期でした。まだ道を走ってるというよりか、この道を進んでいいのかどうか迷っている段階。当時は「この企画はいつ終わらせよう」と弱気なことばっかり考えていたし、そもそも会社をやめてなかったので逃げ道はいくらでもあった。ただ、可能性を信じてたので会社の空き時間を利用して週3本ずつくらいFacebookに動画を投稿していました。結果、Facebook上で7万人くらいにフォローしてもらえました。

 

 

・2016年4月〜2016年11月「100%この活動に集中するための段階」

会社をやめて、収入もなくなりました。Facebookに動画投稿しても収益は入ってこないので、YOUTUBERになる。なので映像制作の繋ぎのバイトをしながら頑張ってましたが、夏頃にはそれをする必要もなくなり(貯金は切り崩していたが)100%この活動に専念できるようになりました。

 

この時期良かったことは

・Facebookで認知度を上げていた分、最初から2000回分くらいの再生数は取れた。

・Facebookの動画を見て、今もお世話になってる台湾のYOUTUBE事務所の社長に出会えた。

 

ということ。つまりは「そういう段階」っていう話で、最初から会社をやめていたら逆にお金に困り果ててYOUTUBERも出来なかっただろうし、Facebookをやってなかったら今の社長にも出会えなかった。(もちろんもっと早い段階から会社をやめてYOUTUBEをやっていたらもっとうまく行っていたかもという可能性もあるが、モチベーションの面で難しかったと思う)

 

2016年12月〜2017年9月「歌を出してると認知してもらうための時期」

11月に台湾3箇所のツアーを終えた。この頃からやはり気になっていたのは「ライブへの集客」。もちろん悪くは無いが、チケットが売り切れるほどでは無いという状況。これの原因はズバリ「皆が知ってる歌がない」ということだった。実際YOUTUBERを始めてすぐの頃は日台文化比較の動画を多く撮り、それが物珍しく映ったためか、動画を出せばバンバンニュースにも取り上げられた。それで認知度はグッと上がったがあくまで「YOUTUBER」としての認知であって、誰も自分をアイドルだと思ってる人はいなかった。

 

ということで2017年のライブに向けて6ヶ月連続毎月1日新曲発表を初めて、その中で「1曲も100万回に行かなかったら引退」というシビアな挑戦をした。これは結構苦しんだものの、「タピオカミルクティーの歌」というのがヒット(後から頑張ってヒットさせた感もあるけど)し、見事に代表曲となった。こうして「知ってる歌がない人」から「三原=タピオカミルクティの歌」の人になることが出来たのだ。

 

この時期は

・食えるようになってきて生活への不安が減った分、MVや100万回チャレンジをする余裕ができた。

 

という段階。あくまで生活ベースが整ったからこそできた挑戦だった。

 

 

2017年10月〜2018年5月〜2018年11月「アイドルとして認知してもらうための時期」

「タピオカミルクティの歌」のおかげで、「三原=歌う」というイメージは少しついた。しかし「三原=歌を聞きたい!ライブに行きたい!」とはならなかった。「ミスチルのライブ5000円」って言われるのと「ピコ太郎のライブ5000円」と言われるのの気持ちと同じ。歌に金を払う価値がある、という存在にはまだまだなれていなかった。

 

ということで台湾に引っ越した。大きな理由は「アイドルの仲間を探す」自分の中ではアイドルになるなら日台混合グループがいいと考えていた。自分の歌唱力もカバーできるし、意義もあるし、人気者になれるのではないかと。

 

ということで、まず始めたのはアイドル仲間オーディション。そこから台湾人2人とたまたま知り合った日本人(GEORGE)でSanyuan TAIWANとして活動を始めた。そこからひたすら台湾の有名な曲をカバーしまくる。結果は上々だったし「三原=歌を聴きたい!」という雰囲気もほんの少し出ていたように思う。実際この頃は「日本語カバーする人」っていう印象も浸透していた。

 

しかし結局、3月にあっさりと解散。特に喧嘩をしたわけでもないが、やはり色々考え方が違いすぎた。日台文化の違いを誰よりも紹介して来た自分が、皮肉にも日台の文化違いによってうまく行かなかったのだ。

 

そんな段階を経て、2018年6月に今度は日本人だけのチーム体制を作った。これが今の「三原JAPAN」である。台湾人とのチームにこだわってたものを捨て、日本人3人で活動開始。チャンネル収益も伸びて来たので、楽曲・MV制作に今まで以上の予算をかけられるようになった。とにかく「ライブで聴きたい曲」を作ることに必死だったのだ。

 

楽曲に関して結果は正直成功とは言えないが、今までよりは「ライブで聴きたい」と思ってもらえる曲が出来たように思う。ただ「代表曲」みたいなのは生み出すことが出来なかった。

 

この時期は

・台湾に来てチームを作ったことで、本当にアイドルっぽい動画(カバー動画)を撮ることができた。

・楽曲制作に割ける時間が増えたため、「ライブで聴きたい曲」を目標に9曲制作できた。

 

という段階。この2つともやはりこの段階に来たからこそできた2つだった。

 

 

2018年12月〜「台湾で曲を大ヒットさせるための時期」

前置きがものすごく長くなってしまったが、じゃあ今はなんの段階なんだ?っていうことを今日は考えていた。

YOUTUBEはもうすぐ100万人登録で知名度としては申し分ないレベルになって来た。なので目的は本当に「(800元/3000円以上払ってでも)台北アリーナに見に行きたくなるアイドル」になること。そのために今は『台湾でヒット曲を作るための時期』と定義づけている。

 

 

そのための準備として

・前回は9曲でダメだったので、次のライブまでに20曲以上は出す。(打席を増やす)

・自分が音楽プロデュース力を上げるために作詞・作曲にも挑戦。また、日本語の歌を作ったり、ギターを習ったりと、とにかく音楽に触れる。(バズらせるための音楽の感性を磨く)

 

ということをやっている。これで「機会」と「確率」を上げる=ホームランが打ちやすくなるという理論である。

 

 

 

 

ただ確信は別に無い。

 

 

 

 

今日歌の先生と相談に言われたのは「売れる歌手」としてのイメージが乏しいということだった。確かに「YOUTUBERとして売れる」ことは物凄く考えながら進んで来たし、「MVをバズらせ再生させる」ことは考えて来たが、「歌手として売れる」ことが圧倒的に考え足りていないのだ。この「歌手として売れる」というのは「歌う」がお金になること。(楽曲DL数やカラオケ配信やライブチケットなど。再生回数は基準では無い)

 

じゃあ「歌手として売れる」にはどうしたらいいのか。言われたのは3つ。

 

1曲を聞いて「その人」だと聞き分けられること(特徴があること)

2知らない人が聞いても、感情が伝わること(また聴きたくなること)

3ポジティブな曲または悲しい曲(台湾に限る)

 

ということだった。

1に関しては、やはり歌手として売れるためには1曲だけ当たるというより、代表曲を聞いてから「他も聞いてみよう」と流れる中ヒット曲があるのだということだ。確かに個人的にも2、3曲知ってる曲(聴きたい曲)があったらそのアーティストのライブに行きたいという気持ちが湧いてくるし。僕たちとしては「日本人が歌う中国語の歌」という個性をいい方向に出して行きたい。

 

2これは単純にクオリティの問題もある。そもそもクオリティが達していなかったら、アイディアがどんなに素晴らしくてもバズる以前の問題だし。僕らでいうと歌唱力と、中国語の発音問題も大きい。コアファン以外の人たちから、街中であまり「新曲聞いた〜」みたいな話を聞かないので、ここは意外と深刻な問題なのかもしれない。

 

3はかなり具体性のある内容。「あなたのやってるコミカルな曲は動画としてはバズるかもだけど、台湾で歌としては流行らない。」ということだった。確かに日本のカラオケ上位は「女々しくて」や「U.S.A」のようなちょっと面白いダンスがあって、みんなで盛り上がる〜。みたいな曲が多いのに対し、台湾はしっとりした聞かせる系の曲が多い気がする。

 

 

そして先生にハッキリと言われた。「あなたのチャンネルなんて登録してない。私にとってあなたはYOUTUBERとしてじゃなくて歌手として見てる」と。

 

そう。「YOUTUBERのついでに歌を出してる人」みたいな印象ではダメなんだ。動画の空き時間に歌をやる、じゃなくて本気で「歌」を全てにしていかないと「歌手として売れる」のは到底できない。

 

幸いにも今まで4年間で築き上げて来たもののお陰で、動画(MV)を出せばある程度の人が見てくれる。チームとしても動画更新の体制が整ったので、曲やMVに自分の時間とお金をかけることができる。ここ半年は動画のOPやEDも自分たちの歌にしてるから、歌う人たちという最低限のイメージは付いている。という条件下にいる。

 

最後に「最高の曲を出せば必ずヒットする」と先生は言ってた。この考え方は本当はあんまり好きじゃ無い。今まで幾度となく「最高の動画」と思えるものを出しては結果に繋がらなかったし、話題性のあるものなんて大抵悪いニュースばっかりだったりする。それにヒットにはもっと多くの要因が絡む(タイミングも運も)だから、やっぱそんな簡単じゃ無いよって言いたくなる。

でもそれでも「あなたを絶対に歌手として売れさせる」と言ってくれるのだ。そんな簡単じゃ無いのに。そんなに熱くなられてもなぁ、って思いつつやっぱりそう言ってくれることが嬉しくて、そして何もできてない自分が不甲斐なくて、結局やる気が湧いてくる。

 

そう。この状況下において次に打てる一手があるとしたら、「最高の曲を出す」以外に無いのだ。それを台湾でヒットさせる。だからもうそのために全力を尽くしてとにかく頑張ろう。

 

 

 

 

今はきっと、そういう段階なのだ。

 

 

 

 

おわり