明恵上人を知ったきっかけは

何だったか忘れてしまったのだけど

血生臭い鎌倉時代は

その時代の新興宗教が多く出来て

どうすれば救いの手を出せるか

様々な宗教家が民衆に心を砕いていた中で


明恵上人は宗教家らしく

修行でしか仏の道を知ることは出来ないと言う

その時代には

非常にオーソドックスな人だったようです。


北条泰時との出会いは

承久の乱で朝廷側の人間をかくまったとして

明恵上人が捕えられ

六波羅探題の泰時の所へ連れて来られた時が

初めてだそうですが、


高山寺がある場所では殺生はしてはならぬ土地。

気に入らないのであれば自分を殺せ

と言った明恵上人の人柄に

心を奪われた泰時は

それから明恵上人に帰依する事になり

度々明恵上人の元を訪れ

様々な教えを乞う事になります。



で!



これだけ聞くと

泰時が素晴らしい為政者になるために

高僧のメンターを得たと言う話だけに終わるんだけど



2人の和歌の遣り取りが

エロすぎて飛び出すハート

もう、萌え萌えしてしまうの。

(腐女子ではないのよ)


エロいなんて言ったら

歴史家に怒られるかもだけど

白洲正子だって2人の贈答歌を

男女の贈答歌と取られても仕方ないと言ってるから

いいよね。



詳しく知りたい方は

調べて頂ければとは思うのですが



明恵上人に泰時が荘園を寄付しようとした際

それを断って


「縁があるならば、生まれ変わり、死に変わってもお会いすることでしょう。それは紙を繋ぐ糊のように荘園の寄進の縁によってではありません」


と言っているんですね。





縁があれば、死に変わっても。




あー😮‍💨萌える…




そしてこちら👇



北条泰時

「おもひやる 心はつねに通ふとも 知らずや君のことづてもなき」


「人知れずおもふ心の通ふこそ いふにもまさるしるべなるらめ」




ただの想像だけど、

私はこの2人には色気しか感じないし



この2人にしか分からない関係があったからこそ

御成敗式目が出来たと思っています。




泰時は明恵上人への愛を力にして

鎌倉時代の束の間の平安を作り


明恵上人もまた

泰時をもって自らの修行の成果を

世に知らしめ後世に伝えられたと



2人の和歌のやり取りを感じながら

幸せに浸るのでした