長々と書いてきたけれど…
これがきっと大きな気づきなんだと思う。
火曜日に朝無性にお味噌汁とお魚を朝ごはんに食べたくなってスーパーに材料を買いに行った。
朝7時。
田舎に住んでると7時にスーパーなんてあいとらんけど、都会ってすごいよね
すぐに欲しいものが手に入る気がする。
でもね朝からお魚はやはりないんだ。
(欲しいのはお刺身だった)
でも純和食のものが食べたいから。
そーだ卵焼きならすぐできるなと思って卵と私の好きなお味噌汁の具材を買って帰った。
この味噌汁が出来上がった瞬間に涙がポロポロこぼれ落ちてきた。
お母さんのと違う…
お母さんは彩りを考えて料理をするから大抵ニンジンが入っている。
ご覧の通り私のはこれでもかってくらい白一色。
卵焼きも全然違う
違うーーーー
と、まぁそれは子供のようにワンワン泣きました
ふと。
ん?あれ?
あ。これって…
わたし、お母さんのようにいろんなことができる女性になりたかったんだ…
料理も掃除も。
家庭的なお母さんのことが大好きでそうなりたくて。でもなれなくて。なれない、できないからお母さんのこと大嫌いってしていたんだ…
ってことがふとわかったんだ。
お母さんのようにできない自分を
お母さんがいつも私を認めてくれない
と、37年間も思い続けてきたけど
それは違ってきっとお母さんは認めてくれてたはずなのに私が私を認めて許してあげられてなかったんだ…
と思うとまた涙が止まらなくなって
この文章書いてる今でさえも涙が止まらなくなっている。
あの気づきから1週間経ってもまだ涙出るのね
こうやってこれまでもたくさん外に答えを求めて周りの人が認めてくれてもどこか違うまだまだまだだ。
って生きてきた理由がよーやくよーーーやく
わかってきたよ。
だからいつも私は淋しかったし
この8月の終わりにもゆきこのからだは淋しそうなんだ…
外食して美味しいもの食べた時、お母さんはこんな贅沢しないからなんか可哀想だなと胸が締め付けられる感覚がたくさんあったけどそれも全部勘違いで私いつもお母さんの目線を気にして自分の意思を無視してきたから可哀想だったんだね
職場で無視が5年ほど続いた時、悲しくてその環境からそっと逃げたんだけど…
私は私を何年も無視し続けてたんだね
まさかあのしんどさを自分が自分にしていたなんて…信じられないよ…
そして憧れなのか自分はどうなのかこれは他人の概念なのか自分の概念なのかそういうの全部一色にしてきてたからPUNAちゃんの言ってた一つ一つの綺麗な色のいいところをちょっとずつ取っては混ぜて取っては混ぜてってしたから全部混ざって変なことなってるよ!
の意味が1週間経ってより深く理解できました
わたしがわたしに許可して認めながら私の人生を生きていくためのスタート地点についに立つことができました