“見える”と”見る”のちがい。
人や子どもバージョン。
行動は目に見える。
いいことも、悪いことも。
よく教育界では授業を通して何を見るかを言われる。
例えば、
友達と協力していたか。
発表していたか。
チャレンジしていたか。
しかし、
本当に”見る”べきところって、
なぜ、それをしたのか。
どうして、そんな様子なのか。
どんなことを考えているのか。
なんじゃないかな。
つまり、”見る”のは行動でなく心。
その時、友達と協力していなかったとしても(行動)、その子が友達のために一生懸命、1人で何かを頑張っていることもあるかもしれない。
例え、発表しなかったとしても、すごく色々なことを考えているかもしれない。
例え、今チャレンジできなかったとしても、人のチャレンジを見て何か思ったかもしれない。あるいは、チャレンジするどころではない、ほかのしんどさを抱えていたかもしれない。
これは、子どもだけでなく、大人だって同じ。
アメフトのタックルの話も同じ。
行動はもちろんダメなこと。
しかし、なぜしたのか。どんな気持ちだったのか。
心を見ることで、その心にある気持ちを知り、真意がわかる。選手、監督も同じ。心と向き合い、その心を変えることで、次の行動が決まる。変わる。
行動だけで判断するでもなく、
行動だけを変えようとするでもなく、
気持ちを知ろうとする。
だから、子どもや人を見るときは、行動だけを見ない。”見える”ものだけを見ない。
なぜ?どうして?と心、気持ちを”見る”意識を持つ。
これが、
”見える”ものと”見る”ものの違い。