(154)岡山県倉敷市 楯築(たてつき)弥生墳丘墓

(双方中円形・弥生時代後期)



楯築(たてつき)弥生墳丘墓は、王墓山丘陵に築かれた、

双方中円形古墳の原型ともいわれている。

 

全長は72mで、直径50mの主墳(円丘)の北東側と南西側に台形の突出部がついている。
しかし突出部は残念なことに団地造成や給水塔工事により大きく破壊されている。



 

主墳(円丘)の頂には5個の巨石(高さ2m以上)が円を描くように建てられ

まるでストーンヘンジのような様相を示しており圧巻だ。

 


中心に立つとなるほど埋葬の霊域を守るために立てられたんだろうと思う。


不思議なのは、5個の巨石の他にも様々に加工された巨石が配置されているている。

 

それぞれに何か意味があったのだろうか。



また墳丘斜面にも石列が見られる。

台形の突出部には石列が並び、飾られた丹塗りの壺型土器が多数置かれていた。

埋葬施設は、主墳(円丘)の地下1.5mに木製の槨と棺が発見された。
槨は長さ3.5m、幅1.5m、底板は二枚以上で排水施設があった。
棺は長さ2m、幅0.7mで、棺底には厚く朱が塗らており、その重さは30㎏以上あったとのこと


出土物は歯のかけら2つと副葬品として鉄剣、首飾り、多数の小管玉とガラス小玉。

また埋葬施設の上には埋葬の祭りに使われた弧帯石や人形土製品、特殊器台型土器、高坏、土製の勾玉・管玉などが壊されて積み上げられていた。



築造時期はAC150~250年ごろ(弥生時代後期・2世紀後半~3世紀前半)



この岡山県の楯築弥生墳丘墓や鳥取県の四隅突出形墳丘墓などがヤマト王権の時代に互いに影響を受け円墳に取り入れられて、やがて前方後円墳という倭独自の統一された格式高い墓が作られるようになったことはとても興味深い。

引用・参考/現地案内板(1987年・倉敷市教育委員会・岡山大学教授・近藤義郎)