(127)群馬県藤岡市 七輿山(ななこしやま)古墳

(全長146m・前方後円墳)



この古墳は鮎川の河岸段丘上に築造された巨大な前方後円墳。


古墳の後円部入口からほどなくしてテラスに首のない石仏が

整然と並んでいるさまは、初めて見る者をギョっとさせる。



前方部から後円部を望む・手前の石は葺石

 

七輿山古墳は周辺の地形を利用してつくられた三段築成の前方後円墳。

墳丘は登ることができ、よく整備されているので、全体像や起伏がよくわかる。


全長146m、後円部直径87m、前方部幅106mメートル、高さは前方部・後円部ともに16m。



前方部・内堀・中堤帯が見える

 

範囲確認調査では、内堀、中堤帯、外堀、外堤帯、埴輪列が確認されている。

出土物は埴輪(円筒・朝顔形・人物・馬)
特に、円筒埴輪は直径50㎝・高さ110㎝で、

7条の突帯(とったい)が回っておりめずらしいとのこと。



藤岡市HPより「7条の突帯のある円筒埴輪」


築造はAC500~550年ごろ(6世紀前半)でこの当時では東日本最大級


藤岡市HPによると藤岡市周辺は、『日本書記』に書かれている535年に設置された

緑野屯倉に推定される地域で七輿山古墳との関係が注目されているとのこと。

なお古墳の名である「七輿山」の由来は羊太夫の伝説がきているとのこと

伝説・・・奈良時代に新設された多胡郡を賜った羊太夫は、八束の小脛という神童の引く天馬に乗って朝廷へ日参していました。

ある日、羊太夫は悪ふざけで昼寝をしている小脛の両脇に一本づつ生えている白羽を抜いてしまいました。すると、神通力を失い天馬が走らず、朝廷へ日参できなくなりました。

朝廷は羊太夫が謀叛を計っているとして討伐軍を派遣しました。

八束城を追われた羊太夫の一族が落ち合った場所が「落合」という地名になり、羊太夫の女房ら7人がここで自害し、それぞれ輿に乗せ葬ったので「七輿山」と言う名称が伝えられています。

 

近くにはAC400~425年ごろに築造された巨大な

白石稲荷山古墳(全長155M・前方後円墳・ブログNO3)があるので

一緒に見るのがおすすめ!。

 


七輿山古墳の近くにある白石稲荷山古墳(全長155M)

 

 

引用/現地説明版・藤岡市HP「七輿山古墳」(群馬県藤岡市教育委員会文化財保護課)