前回のおさらい

私が告げられた病名は、自己免疫性の肝硬変だった。体のメンテナンスをしながら、薬を飲んでいけば、仕事を続けることもできるし、結婚、出産も可能だという事を告げられ、一安心。退院に向けて頑張る事を決意した私だったが…。



なかなか熱が下がらない。日中はよくても夜になると寒気とともに上がってくる日もあれば、熱を計ったら、38.2なんて日もある。

体調も良くなって悪くなっての繰り返しで、体調に合わせて気分も上がり、下りが激しい。

そんな私を支えてくれたのが、お見舞いに来てくれる人たちだった。

職場の同僚、先輩、後輩、事務の先生、園長先生など職場の仲間が本当にたくさんお見舞いに来てくれた。

給食が恋しいと言ったら、給食を持ってお見舞いに来てくれたことも…。

仕事帰りに10分だけって言って、ちょっと話してハグして帰っていく先生もいた。

園の先生のメッセージと子どもが描いた似顔絵を下さったり、私のベッドの窓辺にはお見舞いでいただいたものが山のように飾ってあった。

決して病院と職場は近くなく、下道だと片道1時間はかかるところなのに仕事帰りに来たり、休みの日に来たり先生たちに支えられた。

職場だけじゃない。県内、県外からの友だちがわざわざお見舞いの為に来てくれた。

看護師さんによく言われていたのが、あなたのところにはいつも誰かが来てるのよね〜賑やかで良いわぁ😊の一言。


あと同じ部屋のおばあちゃんにも、あなたの声を聞くと元気が出るわ。ありがとう☺️とお礼を言われたり、とても不思議な体験をたくさんさせてもらった。


今考えると自分は愛されているっていうことに気づくためのプログラムだったのかなと思うくらいたくさんの人たちのお見舞いに支えられた。


病院にいて暇だと思った事は数えるくらいしかないかもしれない笑笑。


退院の知らせは突然届いた。

それは、昔からお世話になっているヘアサロンの美容師さんが会いに来てくれて、大盛り上がりでお喋りしてた時のこと、先生がお部屋にやってきて、今回の血液検査の結果も良くなっていましたし、お熱も出なくなってきたので、退院しますかね。と。マジか?!やったー。となり、職場の先輩が仕事帰りにちょっと顔を出してくれた時に、点滴も今落としているので最後にしますね。と言われ、点滴最後の記念撮影を先輩としたのを覚えてる🥹突然開いた退院への道に戸惑いが隠せなかった。


退院前にお世話になった皆さんにちゃんとお礼を言いたいと思って、病院のアンケート用紙の裏表いっぱいに感謝の気持ちを綴り、大好きだった主治医の先生に、命を助けていただき、ありがとうございます。とお礼をいって、記念に撮らせてくださいとツーショットを撮ってもらった。私の担当の看護師さんともツーショットを撮ってもらい、退院準備に…。


退院前夜に園長先生が、最後だからとお菓子を持ってお祝いにお見舞いに来てくれた。園長先生何回来てくれたんだろう…本当にありがとうございました。


退院の前日はワクワクして寝れなかった。帰る前にメイクをしようとポーチを開けた途端、涙が止まらなくなった。もうメイクどころじゃない。帰れるんだ…お家に帰れるんだ…もうまたねってお母さんとお別れしなくて良いんだ。私服を着ても感動で泣き、病院出て泣き、車に乗って泣き、お家に入って泣き、お母さんが作ったご飯に泣き、お風呂に入って泣き…の一生忘れられない日になった。夜、自分の部屋に行くと部屋はそのままだった。あの入院した9月24日の私が起きた布団のままの状態。少しめくれている布団、曲がった枕ぜんぶそのままだ。改めて家に帰って来れた喜びを感じて、声を出して泣いた。あたりまえの日常が全然あたりまえじゃなかったこと。生かされて生きてること。こんなにたくさんの人に愛されていることそれに気づいてすらいなかったこといろんな事を学ぶことのできた入院生活だった。これからは感謝して生きていこうと心に誓う。


これは、ゴールではなくてただのスタートに過ぎなかった。大変だったのはここから…。