キッチン
  1989年日本🇯🇵松竹

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あらすじ

台所が好きという天涯孤独の少女と風変わりな青年の家族との同居生活を描く。吉本ばなな原作の同名小説の映画化で、脚本・監督は「愛と平成の色男」の森田芳光、撮影は同作の仙元誠三がそれぞれ担当。

 

一人っ子のみかげは、幼い頃両親を亡くしてから祖母と二人暮らしだった。その祖母も他界し、いつしかみかげは台所の冷蔵庫の脇で寝るようになっていた。台所の好きなみかげにとって、そこが一番落ち着ける場所だった。一人ぼっちになったみかげは友人の雄一の厚意で、彼のマンションに引っ越すことになった。ある晩みかげは雄一の母・絵理子を紹介されるが、それは女装した父親の姿だった。こうしてみかげと雄一、絵理子の同居生活が始まった。絵理子はゲイバーのママで夜は遅く、雄一も昼夜が逆の生活だったが、みかげには居心地がよかった。そしてなによりみかげはここの台所が気に入っていた。ある日料理教室のアシスタントとして働くみかげの元へ、雄一の恋人・真美が怒鳴り込んできた。みかげと雄一が同棲していると勘違いしたのだった。みかげは雄一の家を出、同僚の多美恵とアパート暮らしを始めた。

KINENOTE

 

○Wikipedia

 

吉本ばななとは

東京都文京区千駄木出身。批評家詩人吉本隆明の次女。姉は漫画家ハルノ宵子。姉が絵がうまかったことから「それなら私は文章だ」と思い、五歳くらいから作家になろうと考え[1]、小学校4年生の時に処女作『赤い橋』を執筆した[2]Wikipedia

 

千駄木とは

東京都文京区千駄木出身。批評家詩人吉本隆明の次女。姉は漫画家ハルノ宵子。姉が絵がうまかったことから「それなら私は文章だ」と思い、五歳くらいから作家になろうと考え[1]、小学校4年生の時に処女作『赤い橋』を執筆した[2]Wikipedia

 

「千駄木(せんだぎ)は、東京都文京区町名[5]現行行政地名は千駄木一丁目から千駄木五丁目。郵便番号113-0022[3]

東京都都市整備局2004に策定した「東京都市計画 都市計画区域の整備、開発及び保全の方針」において、千駄木は、隣接する根津谷中(谷根千)などとともに、歴史・文化、多様な都心居住などの魅力的で個性的な街が存在するエリア、居住機能を中心に既存のストックを活かしながら、豊かな都市環境が形成されているエリアとされている[6]

Wikipedia

 

森田芳光とは

1981、若い落語家を主人公とした『の・ようなもの』を、実家を抵当に入れた借金で製作してデビューした。題名は、3代目三遊亭金馬の落語『居酒屋』に出て来る「のようなもの」というフレーズから採られた。続く『シブがき隊 ボーイズ & ガールズ』は、初の大手配給作品ではあるが、予算、期間、内容とも厳しい枷がはめられたアイドル映画であり、これをきっちりとやり終えたことでプロの監督としてのスキルと評価を獲得する。

1983松田優作主演の『家族ゲーム』を発表する。家庭をシニカルに、暴力的に描いた、出色のブラックコメディーである。家族全員が長い食卓に、画面に向かって横一列に並んで座る何とも奇妙な食事場面など、何気無い日常の風景を非日常的に描写した、人を食った演出が評判となった。キネマ旬報ベストテン1位など同年の主要映画賞を多く受賞、一部の高評価にとどまっていた前作から大きく飛躍して、新世代の鬼才として広く注目を集める。

1984丸山健二原作、沢田研二主演の『ときめきに死すを経て、薬師丸ひろ子主演の『メイン・テーマ』が大ヒットした。

1985に、松田優作主演で、夏目漱石それからを映画化した。再びその年の主要映画賞を独占し、それまでの異色作路線とは異なって格調高い文芸大作であったこともあり、幅の広さを示して映画界での地位をさらに高めた。

1986、『それから』から一転、とんねるず主演で広告代理店を描いたコメディーの怪作『そろばんずく』を発表した。バブル時を色濃く描いた作品となった。

1989に、吉本ばなな原作の『キッチン』を映画化した。大ベストセラー小説を原作としたにもかかわらず、興行的に大敗する。しかしビデオの売り上げは好調で、隠れた名作として愛されている[7]。『キッチン』が興行的に失敗したことについて、「(原作がベストセラー小説であるので)あんなに(客が)入らないと思わなかったよね(笑)」[7]「修羅場」[8]と後に回想している。」Wikipedia

 

 

監督 森田芳光

 

特筆スタッフ

 

原作 吉本ばなな

 

出演

 

言葉とシーン(感受の畑)

 

総評

この映画は面白くなかった。僕は監督の森田芳光は好きだ。もう亡くなったとは知らなかったが、高校時代、大学時代をとうして映画の新しい表現を体験させてくれた人である

の・ようなもの

家族ゲーム

ときめきに死す

少なくともこの三作は傑作である。森田芳光の言葉で書かれている。やりたい事をやり、観衆を楽しませる事も忘れない。「実家を抵当に入れた借金で製作してデビューした」とは恐れ入った。この三作で森田芳光は世に出て、

メイン・テーマ

それから

で確固たる地位を得た。松田優作の怪演も合わせて、やりたい放題だ。バブルの弾ける前の事である。

そしてこの『キッチン』で壁にぶつかる。バブルと共に森田芳光は弾ける。上記の森田芳光来歴を見ても明らかだが、実際にこの作品は見るからに失敗作だ。森田芳光には申し訳ないが、現代のCM映画の走りかと思った。これは駄目だ。

では、何が駄目かと言うと、森田芳光と原作者の吉本ばななでは、あまりにも人生が乖離している。森田が森田の言葉で語っていない。森田の自由な表現は身を潜め、文京区千駄木生まれのリッチな吉本ばななの世界は多分内面的文章世界で、映画にはしづらなかったので有ろうか?

僕は高校時代、文京区千駄木の、今は名前の変わってしまった郁文館と言う創立100年の高校に通った。そして、その頃友人の文藝春秋編集者のお父さんを持つ鈴木次郎と言う男に良くこの辺を連れ回して貰った。文京区千駄木は、素晴らしい所だ。街自体が文学だ。街自体が私小説だ。郁文館と言う高校自体、夏目漱石の「吾輩は猫である」に出てきた学校で、また近くには森鴎外の家もあり、「千駄木は、隣接する根津谷中(谷根千)などとともに、歴史・文化、多様な都心居住などの魅力的で個性的な街が存在するエリア、居住機能を中心に既存のストックを活かしながら、豊かな都市環境が形成されているエリアとされている[6]。」なのである。ここが山の手に入っていたなんて今知った。吉本ばななはそんな所で育った人で、このキッチンがデビュー作だと言う。吉本ばななの父親は吉本隆明だ。森田芳光とは、悪意無く言わせて貰うと住む世界が違う。同じ日本大学芸術学部だからと言って住む世界が同じと言うのは全くの勘違いで、郁文館の寺田先生も言っていたが、高校時代の付き合いは一生続き、大学時代の付き合いは何処かで一生赤の他人だと言う。そんな二人のコンビでは、面白い筈も無い。知らない事はやはり表現するのは難しい。怪演怪作怪表現、森田芳光の持ち味がすっかり身を潜め、絵理子:橋爪功のオカマ演技すら悲しい。リッチな精神病患者だ。

 

このキッチンと言う名前が、この映画に撮って不釣り合いだ。吉本ばなながそう名付けたからキッチンにしただけと言う感じだ。ところどころ、森田芳光の味が出ているのであるが、なんせ山の手の喰うに困らぬキッチンである。実家を抵当に映画を作る台所とは違うのだ。この格差は大きい。勿論、こうゆう格差を感じさせない映画は、世の中に沢山ある筈だが、それはある程度の摩擦を覚悟する必要がある。この映画には其れが無い。森田芳光は摩擦の人じゃあ無かったのだろうか?

 

「なお、作中に「キッチン」という語は結末近くに一度しか登場せず、それ以外の箇所では「台所」という語が使われている。」Wikipedia

 

某国での台所は、中々足の踏み込めない女の聖域だった。どんなに立派なソファーを買っても、彼らは敷居を一段降りた暗い台所で、美味しそうにソムタム、プラー、ネム、カノムチンを楽しそうに食べていた。彼らは、そうして一日3食ではなく、一日56食も食べるのである。それが彼らの幸せなのだ。そこが一番落ち着く場所なのだ。この映画の主人公のミカゲには、「台所の好きなみかげにとって、そこが一番落ち着ける場所だった。」Wikipediaと言う程の思いが感じられなかった。キッチンが好きだと言いながら、何処か嘘だった。これが敗因である。

 

最後に、たまたま施設で働いているベトナム🇻🇳人の介助士にこんな歌を紹介して貰った。グーグル翻訳でちょっとずれているところもあるかもしれないが、これこそが「キッチン」である。

 

Ái Phương 

道を愛する

 

Em thổi cơm, em luộc rau 

吹き米、野菜の煮物

Đem thịt kho với cá

肉や魚の煮込みを持ち込む

Em dọn mâm, em gọi lên 

トレイを片付けた、電話した

Đến giờ cơm Út nha

ウトの夕食の時間です

Bát ở đây, bát ở kia

ここに茶碗、あそこに茶碗

Bát của ba với má

お父さんとお母さんの茶碗

Bát của em

私の茶碗

Thế là trọn bữa cơm êm đềm

食事全体が平和だったので

Em mời ba, em mời má

お父さんも招待します、お母さんも招待します

Căn nhà tranh mái lá

茅葺き屋根の家

Một thìa canh, hai thìa cơm

大さじ1、大さじ2

Thoang thoảng hương khói rơm

藁の煙の匂い

Rồi ăn xong, rồi em kêu

そして食事後に電話しました

Đi ngủ thôi Út ơi

寝よう、ウト

Quạt đưa tay

扇子

Thay ngoại em hát câu ru hời

おばあちゃんの代わりに子守唄を歌います

 

Út tỉnh giấc, Út ngẩn ngơ

ウトは目を覚まし、ウトは唖然とした

Út hỏi ba với má

ウトはお父さんとお母さんに尋ねました

Má hàng rong, ba ngoài khơi

お母さんは露店商、お父さんは沖合にいる

Ráng đợi thôi Út ơi

ちょっと待ってください、ウト

Em nghỉ ngơi, ra đồng chơi

休んで畑に遊びに行きます

Thơm lừng hương lúa mới

新米の香り

Em cười tươi

明るく微笑んだ

Mơ về một bữa cơm tuyệt vời

素敵な食事の夢を見て

Em mời ba, em mời má

お父さんも招待します、お母さんも招待します

Nắng chiều soi tán lá

午後の日差しが紅葉を照らします

Một thìa đơm, hai thìa chan

ご飯 スプーン1杯、ピューレ スプーン2

Thoang thoảng hương khói nhang

お線香の煙の香りを嗅ぐ

Rồi ăn xong, rồi em kêu

そして食事後に電話しました

Đi ngủ thôi Út ơi

寝よう、ウト

Rồi em mơ

それから私は夢を見ました

Em gặp ba má em trên trời

天国で両親に会った

Em tỉnh giấc, qua bụi rơm

ストローから目が覚めた

Cho gà ăn sáng sớm

早朝に鶏に餌をやる

Em dọn sân, em dọn mâm

私は庭を掃除します、私はトレイを掃除します

Đến giờ cơm Út nha

ユトの夕食の時間です

Bát ở đây, bát ở kia

ここにお椀、あそこにお椀

Bát của ba với má

お父さんとお母さんの丼

Bát của em

私のお椀

Thế là trọn bữa cơm êm đềm

食事全体が平和だったので

Bát thật xinh

お椀は本当に綺麗ですね

Thế là trọn bữa cơm gia đình

それは家族全員の食事です

 

 

 

終わり

 

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