CONFESSION=遥かなるあこがれギロチン恋の旅 1968年 日本🇯🇵自主制作

🍅🍅🍅

 

あらすじ

「CMを制作していた仲間たちと2週間の正月休みを取り、16mmキャメラと50巻のフィルムを持ち込んで古里・尾道で撮影した自主制作時代最後の集大成。大林映画のスタイルにつながる要素がいくつも垣間見える。

御袖天満宮、浄土寺やポンポン岩、坂道、線路、瓦屋根の連なりなどのちに尾道で撮影されたさまざまな作品で登場する風景が凝縮されている。

楽しくも切ない映画ごっこ。

尾道大林映画の原点にして、すでに完成形とも言える作品。」© 尾道映画祭実行委員会 All rights reserved.

 

1968年/16mm70分〈デジタル上映〉

製作:大林恭子 監督・脚本・編集:大林宣彦 撮影:青柳正司 美術:外山鶴良 衣装:宮村桂子 編集:相沢尚子、坂間雅子 音楽:宮崎尚志 語り:内海賢二

 

○Wikipedia

自主制作映画とは

「自主映画(じしゅえいが)とは、映画の種類を指す。自主制作映画(じしゅせいさくえいが)、インディーズ・ムービー、オーダーシネマ、インディペンデント映画、同人映画などとも呼ばれる。

日本では商業映画で無いもの、欧米ではハリウッドメジャースタジオ6社の傘下に属していないものや単に自己資金で制作されたもの(ジョージ・ルーカスの『スター・ウォーズ』新三部作など)である。

〜中略〜

第二次大戦後、8ミリカメラやフィルムが安価かつ高性能になると、アマチュアが街や野山に出てロケをしたり、地域での日常生活を長期に渡って撮影したりすることが可能になる。その結果、野生の動植物の生態や、貴重な伝統行事や伝統産業などの記録、身体障害者の日常生活や、被爆者など戦争体験者の証言の記録などの社会問題の提起など、商業映画では制作困難な映画作品がアマチュアの手で作られるようになる。1960年代には大林宣彦高林陽一が作品を発表している。

1970年代に入ると、1965年に提供開始された向汎用の8mm映画システムのシングル8スーパー8が、一般的な家庭でもホームムービー用に使用される様になり、そのカメラなどの機材を使用して、学生世代による若い感性の自主映画が次々と発表されていった。ここには、情報誌「ぴあ」や「ぴあフィルムフェスティバル」、芸坐上板東映などの名画座による、自主映画への制作・公開への支援や媒介として作用した事も、自主映画が拡大する要因であった。」Wikipedia

 

私小説とは

「私小説(わたくししょうせつ、ししょうせつ)は、日本の近代小説に見られた、作者が直接に経験したことがらを素材にして、ほぼそのまま書かれた小説をさす用語である。心境小説と呼ぶこともあるものの、私小説と心境小説は区別されることがある。日本における自然主義文学は、私小説として展開された。

〜中略〜

1907明治40年)の田山花袋蒲団を私小説の始まりとする説が有力であるが、平野謙は、1913大正2年)の近松秋江の「疑惑」と木村荘太の「牽引」を、私小説が確立した時期だとする[1]これらが多く自己暴露的性質を持っていたのに対し、志賀直哉の『和解』のような作風を「心境小説」と呼ぶ。客観描写ではなく、対象を見た著者の内面を描く事を主眼とした。」Wikipedia

 

蒲団とは

「『蒲団』(ふとん)は、田山花袋の中編小説。日本の自然主義文を代表する作品の一つで、また私小説の出発点に位置する作品とされる[1]。『新小説1907年(明治40年)9月号、1908年(明治41年)3月号に掲載され、のち易風社から刊行された『花袋集』(1908年)[注釈 1]に収録された[1]末尾において主人公が女弟子の使っていた夜着の匂いをかぐ場面など、を露悪的なまでに描き出した内容が当時の文壇とジャーナリズムに大きな反響を巻き起こした。」Wikipedia

 

監督・脚本・編集:大林宣彦

 

特筆スタッフ

 

出演

 

出演:山崎草介 荻原憲一 岡本ちか子 姿みゆき 山和子 西村憲一 鳥居登志子 山本千穂 浅井啓子 川本カナ子 大林千秋 大林千茱萸 享楽光子 赤坂サリ 立川多美子 永井晶代 川口みちこ 西谷尚雄 宮村公

 

言葉とシーン(感受の畑)

 

新車

少女が与えたものは秘かな悲しみ

弱い心は何時もどこかへ帰りたがる

こだま

尾道

共通の恋人

さちこ

 

1 戯れに演じられた過去

稲荷

三人

帰ろう

僕に傾く?

新発明の傘

 

微熱 サーカスの🎪娘に恋した少年の日

看護婦

サブリミナル

鉄道事故?

浣腸

脱ぎかけ

セピア色

カラー

白黒

混在

 

忘れた頃にサイレント

詩の朗読はサイレントでない

 

ロケそのもの

 

夏の終わり ブラッドベリの浜辺

 

新しい少女

4人で喫煙

バイオリン

 

怪人

鉄道

尾道 ルイマル

水子

 

お葬式

墓地で踊り狂う

紋付き袴の人々

 

嘘でしょ 連呼

 

卒業式

 

インターミッション

 

2

1968

扮して

ラブシネマ

 

3

映画ゴッコ

 

以下ネタバレの為

 

総評

本作は、大林宣彦が自主制作の時代の最後に作った作品である。この作品も含め、「Emotion 1966」も見た。内容、ストーリーを観ると言うよりか、大林宣彦の少女に対する憧憬、劣情(良い意味で)を共有する映画だ。僕はかつて大学生時代、この大林宣彦の自主制作映画に嵌った時代があった。多分、文芸坐で見たのではないか?特に、この作品は好きだった。僕が好きだったのは、大林宣彦の少女に対するレンズに布着せぬ劣情と憧憬だった。それ以上行くと全てが壊れてしまう表現だ。それを奥さんの前で撮っているのだから恐れ入る。

こんな表現が、許される自主制作映画とは何だろうかと興味を持った。そして、1980年代後半、僕も自分で映画を2本作った。まだITやインターネットの無い時代、シングル8スーパー8、富士フィルムの8mm映画機器によって、僕は映画を作った。フィルムの編集とは正に切り取り、貼り付けの世界で、だからこそできる表現があり、刺激が有り、楽しかった。特に第1作目は、自分で全てを作った「男の蜜」と言うホモLGBT🏳️🌈の超短編で、フィルムの原盤は今は何処に行ったのか分からなくなってしまったが僕は気にいっていた。2作目は、後輩と撮った映画で、僕が脚本を書き、後輩が監督をした「三面鏡」と言う映画だった。これは千葉の成東海岸でロケハンをして、女優の卵も3人出て貰い30分くらいの堂々たる映画だったが、惨憺たる出来だった。自主制作映画とは言え、映画は監督1人の我を遠さないと駄目だ。映画って、金食い虫の一か八かの賭けだ。だからこそ、妥協出来ないのに、僕と来たら妥協だらけで、最後には映画を諦め不敬罪の某国へ旅だった。僕の先輩には、良い作品を作る人が沢山居た。未だ、映画を撮っていらっしゃるのだろうか?

大林宣彦についてもう一点、兼ねてから思っていたのは、彼が私小説映画監督であると言う事だ。極私的個人を何の恥じらいも無く、フィルムに収め人に見せ、ナレーションする。そもそも私小説とは何なのか?Wikipediaの欄に切り取って見た。⬆︎

僕は思うのですが、明らかな虚構の天才で無い限り、ストーリーテラーで無い限り、作家作品は多少なりとも私小説の要素を持っている。そして、今のITの時代、ブログには私小説が溢れている。それをオナニーだと批判する人もいるが、それでいいんじゃないかと思う。誰もが私小説を描く時代だ。良い、美しいオナニーを追求すれば良い。

僕も、昔私小説の草分けと言われた田山花袋を読み感動した1人である。僕は高校のある時期に置いて、色々な純文学を読み漁ったものだが、所謂「みずみずしい感性」と言う褒め言葉は評論家が思考を辞めているみたいで大嫌いで、むしろ田山花袋の様に、劣情欲情塗れの、でもポルノには行かない表現が好きだった。僕が大学の卒業論文で書いた(🅰️だったのだ?)太宰治の論文でも、こう書いた。何せ人は見ていない事はなかなか書けない。太宰は「古伝説と、シルレルの詩から」走れメロスを自分の私小説にしてしまう、それが太宰治の才能であると書いた。倒れ起き上がるメロスは、芸者と無理心中をし、1人生き残り息を吹き返す太宰治に他ならないと書いた。本当に全盛期の太宰治はゴッコ遊びの天才だった。

話を大林宣彦に戻すと、そんな視点から、この作品を観ると再発見する事も多い。露悪趣味。田山花袋の「末尾において主人公が女弟子の使っていた夜着の匂いをかぐ場面など、を露悪的なまでに描き出した内容」と言う点は、僕の様に某国7000万の国民の前で性行為をした男から観ると、カミングアウトの前と後では、この作品を観る眼も違う。むしろ、カミングアウト後の方が、大林宣彦の爽やかな才能が目立つ。僕の中にある少女に対するポルノ、エログロが完全に断ち切れる。

洗練されるのも考え物だ。「転校生 サヨナラあなた」を見たが、完全なるCM映画だった。埃(誇り)すら落ちて居ないホテルの廊下。本当に残念だ。

 

短歌

 

❺君何処?

❼闇に手探る

❺藻の花袋

❼少女は願う

❼ギロチンの旅

 

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