春婦伝 1965 日本🇯🇵

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あらすじ

「中国北部の大荒野を、慰安婦の一団を乗せたトラックが疾走していく。その中では、天津からやってきた春美がうつろな瞳を黄色い大空に向けていた。天津の売春婦宿で春美は友田という日本人を愛し抜いたが、その愛を裏切られた。春美は絶望を求め、この奥地の慰安所に志願したのだった。山間地にトラックがやって来た時、突如地雷が爆発し、待ち伏せた八路軍が急襲してきた。猛然と撃ち返す日本兵。その中の澄んだ瞳をした若い三上上等兵に、春美はふと心を惹かれ、すさみ果てた胸をやさしくゆすられるのだった。」日活

 

前書き

この映画は、鈴木正順の映画だが、同じような映画がもう少し昔に作られており、ヒロインの人種が微妙に変わっており、GHQの意図がある。では、韓国にとってはどうなのかなど、鈴木正順が映画で訴えたかった点が、微妙に呆けるのは残念だ。

 

1950年

詳細は「暁の脱走」を参照

暁の脱走』のタイトルで映画化された。ヒロインは当初の脚本では原作通り朝鮮人の慰安婦だったが、GHQの検閲により日本人の慰問の歌手に変更されたという。

 

1965年

春婦伝

原作小説の2度目の映画化で、ヒロインは原作の朝鮮人慰安婦から日本人慰安婦に変更されているが、脇役として朝鮮人慰安婦も登場する。

 

 

野川由美子(春美)

主人公。

所謂従軍慰安婦と言うのだろう。千人何人を相手にするか?など露骨な言葉が飛び出す。慰安婦、売春と言う職業の人々の希望、夢、男達とは何なのか、戦争とは何なのか?それが、鈴木清順の光と炎🔥のタッチから描かれる。彼等は、常に入口を潜り抜け、そして元の世界に戻らざる得ない自分を呪う。

 

川地民夫(ミカミシンキチ)

この人の感情、動きは、色々と議論のあるところだろう。しかし、女性がそうであるように、男性も若い内の潔癖症と言うのは凄い者がある。私の最初の妻が売春婦であったが、今思えば何故彼女しかいないと思ったのかわからないが、売春で出逢って置きながら、売春を辞めて貰いたくて堪らなくなる。そうゆう我儘はまた、自分の思いとうりになると、フッと冷めて行く。これは、若者にしか許されない我儘であって、女から見たら全く理解できないだろう。春美は、そうゆう若者を永遠に自分の物としたい。

 

玉川伊左雄(ナリタ中尉)

そして、男はある期間を過ぎるとナリタ中尉の様に、冷たい男になれる事を、成長と誤解する。そして、先の戦争では、こうした人が段々と、誰と戦争しているか分からなくなっていったのではないか?そうゆう、ジェネレーションのぶつかり合いが、失敗した戦争では露骨になり、最後には神風特攻隊が有効であると思わせるまでになる。明治行以降、日本人を勇敢たらしめた物が、自分の首を縛るのである。

 

初井言栄(ツユコ)

そして、自分を占領した日本人、日本軍を冷静になって眺める朝鮮人。彼等にとって国のプライドなどの為に戦うのは馬鹿である。でもミカミは、そんなツユコの部屋に体を求めて行くのでは無く、本を読みに行く。気を安らぎに行く。日本人の部屋ではなく、「朝鮮人の売春婦の部屋」と言うのがポイントだ。そして彼女は、日本人が「何に一生懸命になっているのか?」不思議でならない。この人の動きが春美の対局にあるところが、良い。

 

この映画では、売春って、慰安婦ってと言う問いかけを、生身でぶつけてくる。決して不必要な裸は無い。野川の白い肉体が美しいが故に、それ以上の手立ての無くなった彼女の慰安婦としての人生が、重くのしかかる。感動は出来なかった。なるほど彼女の自分の解決方法はそれしか無いのだろうと思い、見につまされた。金で寝ているのでは無いと相手に分からせるには、これしか無いと言う事なのだろう。

 

合掌

 

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