昨夜の構成的グループエンカウンターの講義。
とても、面白かったし、楽しかったです。
9時に講義が終わってから、受講生5人でラーメンを食べに行こうと言うことになり、講義の興奮が治まらないまま、おしゃべりに花を咲かせ、交流を深めました。
さて、構成的グループエンカウンターとは、なんなのか。
まだ、ぼんやりとしかわからないのですが、心を閉ざした現代人を開放すべく、グループで本音で語り合うことによって、自己を成長させたり、対人関係能力を高めることを目指したもの。
そんな感じかな。
講義の前半は、まず今の日本社会の現状がどんなものかを学びました。
なんとなくは感じていたものの、それを理論付けて分析されたものを聞くと、なるほどと思うことが多かった。
まず第一に、背景として社会の変化が大きく影響していることがあげられる。
科学技術の進歩、消費社会、情報化社会、経済的な豊かさ、地域共同体の衰退、高齢化社会などが、1990年代ころから急速に広まった。
個人の生き方が問われ、自由や価値観の多様化が言われたが、同時に自己責任を強く問われるようになった。
そうすると、人々は、自分のライフスタイルや生き方とは何かという問いを直視しないで、「今が楽しければいい」と、その場を刹那的に生きる傾向が多くみられるようになる。
また、人と深くかかわることを避け、傷つくことを避ける傾向も多くみられるようになったと言う。
俺の生き方とは違う。
俺が、そうした社会の変化の中で、ぶれることなく自分の道を進んでこられたのは、バレーボールとの出会いがあったからだと思う。
バレーとの出会いは姉の影響であることは、先日書いたが、中学卒業後にコーチをすることになったのは、先輩の影響が始まりだった。
当時のバレーと言えば、女子がオリンピックで活躍し、男子バレーは、日陰の存在だった。
部員数も、俺が2年の時は、男子が10人に対して、女子は60人くらいいた。
体育館のコートは女子に占領され、俺ら男子は、体育館の隅でこそこそやっていたものだ。
そして、「おっぱいバレー」のように、猛練習をして実力を付けて、試合で結果を出し、その存在をアピールし、女子と対等に活動できるようになった。
顧問の先生は、女子専門で指導していて、俺らの指導は、もっぱら高校生の先輩だった。
伝統なのかはわからないが、いつもその先輩がやってきて、俺らをしごいたのだ。
そして、俺も卒業すると、後輩指導に母校に行った。
そのころはまだコーチとかではなく、遊びの要素が強かったと思う。
しかし、高校を卒業し、調理師になりたいと考えて専門学校に行ったのだが、勉強そっちのけで後輩指導に燃えていた。
バレーを教えること、技術だけではない、伝えたいものがあった。
そんなときに、調理師学校に学校給食の話が来たのだ。
俺は、コックとか板前になりたいと考えていた。
でも、学校給食の仕事は、朝は早いけれど、その分終わりも早い。
つまり、仕事が終わってからでも、バイクで駆けつければ、中学のバレーの練習に間に合うのだ。
悩んだ。
仕事としてのやりがいは、板前などと比較したら、低い。
でも、その当時の俺は、バレーを教えること自体が、生きがいになっていた。
そして、さんざん悩んだ末に出した結論は、仕事は、10年後にやろうと思えばやり直しはできる。
でも、バレーの指導は、10年後にやりたいと思っても体が衰えていたり、そんな環境に居られる可能性は低い。
ならば、今しかできないバレーを選ぼう。
そして、それから民間委託で事務職になるまでの8年間、コーチとして後輩指導に全精力をつぎ込んだのだ。
その8年間で得たものは、今の俺の生きる上での礎である。
後輩に想いを伝えることで、自分自身を見つめなおし、想いを深めていく。
何者でもない「俺」が確立したのだ。
傷つきたくないから、うわべだけでしか付き合えない人。
自分にとって本当の幸せが何か分からない人。
そんな人間関係を築く上で大切なことが欠落していたら、夫婦関係を築くのも難しいかもしれないです。
でも、多くの人が、そんなことに気付かずに生きているのかもしれません。
それを気付かせてくれるのが、構成的グループエンカウンターなのです。
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