今年もよろしくお願いします(;´▽`A``
今日は目黒へゲシュタルトセラピーの一日ワークへ行ってきました。
あまりに疲れてうまくかけません(-。-;)自分保存用です。
なぜなら、ファシリテーターの先生によるエンプティチェアテクニックのセッションを受けて、もう人生で一番大解放してしまったからです。
人間関係で距離をとってしまう自分をテーマに、話を聞いてもらいましたが、いつもどおり周りの目が気になって集中できるか心配でした。
しかし、先生の本当にあったかい傾聴でどんどん話してしまい、気がつけばお母さんとの事を話しながら大粒の涙。
少し離して座布団を置き、母がいる前提で思いのたけを母に話しました。
「どうしてそういうことをするの?そして、無視しないでよ!そして、お母さんみたいになりたくない、そして、ごめんね」
次々と湧いてくる思いを、「そして、」をはさみながら話すとどんどん気持ちが楽になるのがわかります。
矛盾した思いをも認めていく‥わたしは母のことを愛し、憎み、許していました。
今度は母の席に座り、母になりきって自分にはなしかけます。
「泣いている、そんなに泣かないで」
「お母さんは知らなかったのよ、どうしたら良いのかわからなかった」
「あなたがすきよ」
そんな言葉の中に驚きの言葉が。
「あなたはお母さんのこと、そんなにきらいじゃないでしょ」
内心え~っ(・・;)
でも、そういっている感じがするんです。
それはうれしい気持ちでした。
そして、「背中をさすってあげたい」
といってました。
わたしは背中をさすられるのが好きでしたね。
最後には「あなたは私の様にはならないから、大丈夫、だいじょうぶよ」と。
自分の席にもどると、お母さん役をやってくれる参加者を指名していいと言われ、
同じ名前のヒーラーさんをお願いしました。
私の名前を呼び、大丈夫大丈夫とさすってくれました。
涙がぽろぽろ、、「お母さん生き返った」と思いました。
そして、わたしは「本当にもう無視しない?嫌いにならない?」と、お母さん役の方に話しかけ、
そのつど「しないよ、大好きよ」といってもらいました。
うれしかった。
それでもまだ、どこかでみんながさめた目で私を見ている気がしていることを先生に告げたら、
一人一人が私を取り囲み手で私を包んでくれました。゚(T^T)゚。
男の人も女の人も先生も、みんなに好きだといってもらい、それでも疑い続ける言葉を言う私を、
信じてほしい、と言ってくれる人もいて。
「ああ、愛されてる、無条件にこんなに多くの人に」と思うことができたのです。
ひとりひとりにハグをして、
嫌いじゃないか聞いたりもしました。
子供っぽいけど、自然に聞いてました。
みんな「好きだよ」といってくれて、もう大丈夫なんだって体感で感じました。
心の底から、母への感情を叫び、いじめられていたころの、さみしかった思いも、みんなのおかげで、愛でみたすことができました。
母を愛していることに気づき、人の愛情を信じることができた、すばらしい体験をした一日でした。
感情は命の言葉であると教えてもらいました。
命を感じ、今日は全力で生きました。
またまた2ヶ月放置‥( ´(ェ)`)
あっという間に年末ですね。一年が本当に早い!
9月に食品配送のコールセンター兼営業事務の仕事をはじめ、早3ヶ月経ちました。
とりあえず、「本当にやりたいこと」を仕事にするために一時はじめた仕事でしたが、
人間関係が非常によく、皆さんの仕事への姿勢や気配り、連係プレーに「すごい!」と驚き続けています。
とはいえ、コールセンター。
クレームばかり聴くことも辛かったりして、
ついつい「そろそろ辞めようかと思ってます」なんて時々愚痴。
そんなことを職場の人に話したら、、怒られるかな~なんて思うわけです。
今までの私だったら、「みんな我慢してるんだから、自分勝手に辞めないで!」とかいわれるって。
実際話してみたら、「辛い辛いと思っているのにかわいそうだなって、みんな思うと思うから辞めたって大丈夫よ!」
でした(´_`。)
なんなんでしょうかね~こういう風にいってくれる人なんているわけないと思ってましたが、いるんですね~
あまり、自己評価したりするの恥ずかしいですが、やっぱり「わかってもらえない、我慢しなきゃ」的な信念や思い込みが外れてきているから、こういう人に出会えたのかな‥と思ったりもします。
最近は、これだけやってたい!ということで仕事していけるように、自分のフィーリングを大事にしながら、取捨選択をしています。
生活を、人生を、好きだけにしたいな~と。
ちょっと前までそれができませんでした。
私が引っかかっていたのは、「適性がないと成功しない、やっても無駄」という信念
これのために、頭のいい人じゃなきゃだめだ~とか、無理に好きなことのために苦手なことの勉強しよう!としたり。
結果、好きなことが嫌になりましたのであせりました。
この信念が外れたきっかけは、
「適性があるといわれたって、それをする必要もなければ、好きになる必要もない、しかし適性がなくてもわくわくすることならやったほうがいい」
という言葉。
あわせて、適性は他にあったけれど、適性のないことで幸せに生きている人の例もた~くさん見ました。
なにか、うまれつきの才能というか、うまくできなきゃだめなんじゃないか?というものがす~っと解けていった感じで、枠が外れました。
他にも、「○○は好きだけどこれもできないとだめ」という信念も持っていたのですが、「できないことは人にやってもらえばいいんだ」ということも自分に許せるようになりました。
ちょっと前までは、「個人事務所やるなら、経理も!営業もやれなきゃ~」という感じに、全部やろうとして苦しくなって辞めてました(T▽T;)
いまの職場の助け合いを見て、なにかほぐれたのかもしれませんね。
あ、あと、信念の解放に、ホオポノポノやセドナメソッドをつかってますが、そのやり方もある意味ゆっくり自分のペースにあわせていることもおおきいかもしれません。
ちょっと何年か前にも、同じような信念をはずそうとしていましたが、やっぱり頭(思考)だけではずそうとしていた感があります。
いま、しっかり変化につなげていけるのは、身体の感覚に寄り添いながら信念と向き合っていることが大きいように思います。
「適性がないとだめだ~」も、身体のどこのあたりでどんな感覚が湧いているかをみます。
そして、その感じをあじわって受け入れる‥
すると、自然に手離れていくかんじです。
いまは辛い‥というときも、無理はしない。
それがやっぱり、良いようにおもいます。
ゆっくりのろのろ変化ですが、私には確実な気がしています~
今日は、鎌倉を散策してきました。秋の鎌倉は、山並みが黄金色に光っていて、空の青さとのコントラストが見ていて気持ちが良かった。
美味しい葛切りなど食べて、休日を満喫できました

帰ってきて、一日を振り返って印象に残ったのは、ある家族連れ。
小学生のお姉ちゃんが、赤ちゃんを抱いた母親に叱られてました。
「あんたはお腹空いたって言うのに、食べもの買うときにはいらないっていって!むかつくわ。」
私達は唐揚げやさんにいました。このご家族のお母さんは、唐揚げ食べたいか聞いたのに、娘がいらないといったことに腹をたててました。
横目では、「いるのにいらないっていっちゃう段階が子供ってあるんだろうし、そんなおこらなくても。」
と思ってました。
そのお姉ちゃん、実は妹がもってる飴が食べたかったらしく、おこられたのちに飴をゲットして、満足していました。
この出来事が帰ってから何度も思い出されるので、なんだろう?と自分に照らし合わせ。
すると、「本当は何が欲しいのか、いえていない」
という普段の私が思い出されました、
そんなことはよくあります。
仕事でも、買い物でも、コミュニケーションでも。
本当は…○○なんだけど、いいや。
これが私のあたりまえになると、本当に欲しいものがわからなくなってしまう。あの、母親の叱りの言葉は、私にむけて言われているように感じました。
この先に何を具体的にやりたいのか、ぼやけているのでありがたいです

どんな家に住みたいか?
何が楽しいのか?
どうしてそれが言えないのか?
内側と話す時間をとって、追求しようと思います。
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