僕はQuestioning。
僕の性別は男性。
体はね。
でも、心の性別はよくわからない。
ついでに、好きになる相手もよくわからない。
明確に決められないのか、決めないのかと聞かれれば、
明確に決められないし、決めなくていいと答えます。
性別も、好きになる相手も、よくわからない。
よくわからないままでいい。
よくわからないままがいい。
そんな性別がQuestioning(クエスチョニング)です。
LGBT、あるいはLGBTQ+という括りに属する人達がいます。
日本人の中にも3%~10%いる(調査機関・調査方法によってデータにバラつきがある)と言われているそんな彼らの中に僕もいます。
今日は、そんな僕がこのQuestioningと自分を定義できるようになるまでの道のりを書いていこうと思います。
違和感のはじまり
僕の心の性別への違和感のはじまりは、一般的にトランスジェンダーの方の言う心と体の性別が違う、と思ったところから始まったわけではありません。
男性への嫌悪感や拒絶感から始まりました。
そのきっかけは僕の祖父にありました。
祖父は強烈な人でした。
「男が泣くな!」
「男子厨房に入らず!」
一番風呂に入り、ご飯が来るまでまったく動かず、じっとしている。
孫が言うことを聞かなければ、げんこつ。
押し入れに閉じ込められることも。
今思えば虐待と言われることをする、時代錯誤の、昭和の価値観に染まりまくった人でした。
まあ、大正生まれの人なので、しょうがないのですが。
そんな彼は、よく祖母を泣かしていました。
両親共働きで、僕の母代わりになっていた祖母を。
傍若無人な彼の行いを見て、僕はいつも嫌悪感を覚えていました。
ある日のこと、その彼がとあるテレビ番組を見ていました。
なんの番組だったかは覚えていませんが、彼が選んだチャンネルの番組を見ていました。
そのテレビ番組は、色気のある水着の女性が出ているものでした。
平成初期にはよくあるものですね。
それを見た彼はものすごく鼻の下を伸ばしていた。
普段の厳しい彼はどこかに行き、ただただだらしがない人間がそこにいました。
それがものすごく気持ち悪く感じました。
なぜそう思ったのかは覚えていません。
ものすごく気持ちが悪い。
そんな忌避感が生まれたのです。
僕にとって祖父=男性の権化だったため、そこから男性という性への嫌悪が始まりました。
膨らむ男性嫌悪
彼に反発するかのように、僕は(時代錯誤なのですけれど、)男性的なものを嫌い、女性的なものに憧れていきました。
例えば、包容力、感受性の高さ、可愛いもの好きなど、そういうものを好みましたし、裁縫、刺繍、手芸、料理といった趣味にものめり込んでいきました。
また、好きなテレビ番組は、「はなまるマーケット」や「おしゃれ工房」などの主婦向け番組で、「セーラームーン」や「カードキャプターさくら」などの少女向けアニメも見ていました。
妹が買っていた「なかよし」という少女雑誌もよく読んでいたのを思い出します。
とても楽しかった。
番組やそれそのものも楽しかったのですが、自分が男性的ではないと感じられているのが楽しかったのです。
そんなふうにして、義務教育時代、高校時代を生きていきました。
その後、大学に入学します。
入った部活は武道系の部活(合気道部)。
同級生は男子は僕一人で、ほかはみんな女子でした。
幸いにして、彼女たちは仲良くしてくれて、僕が仲間はずれにされることはありませんでした。
その上、彼女たちが僕が料理がうまいことや、裁縫ができることを知って、「乙メン」と呼んでくれたのがすごく嬉しかったのを覚えています。
でも、悲しいことはありました。
当たり前のことですが、道着に着替える時や遠征に行ったときなどに僕だけが別にされるんです。
当たり前なんだけど、当時の僕はそれがどうしようもなく悲しかったのです。
どうしてハブられるんだろう。
いや、わかってる。
わかってるけど、納得がいかない。
どうして、彼女たちと一緒にいられないんだろう。
どうして僕は男性なんだろう。
女性ではないんだろう。
自分の性別が憎い。
そういう思いが募っていきました。
それが積みに積み重なり、ついに爆発しました。
それは僕が22歳の時でした。
僕って、GIDなのでは?
今思えばアホらしいのだですが、当時は大真面目にそう思っていました。
GIDとは、Gender Identity Disorder(性同一性障害)。
今で言う「性別違和」のことです。
当時の僕は、男性というものも、自分が男性であることにも強い忌避感がありました。
そのため、自分が男性ではない何かと思わなければ、精神的に持ちませんでした。
なぜなら、大学時代に患ったうつ状態が強く現れ、日常的に自殺願望を抱いていたからです。
そんな時、この言葉を知りました。
GID、性同一性障害。
そして、性適合手術という手段。
これを知った時、救われました。
これでようやく男性という状態から解放される。
希望の光に見えました。
うつ状態でなんの未来も感じられなかった自分にとって、それが心の支えの一つになったのです。
それからというもの、ひたすらにGIDと性適合手術のことばかり調べました。
費用はいくらで、どういう内容のもので、どういう手続きをとればできるのか。
性適合手術を受けた人のブログも読み漁りました。
実際に性適合手術を受けに外国に行き、その後どのような人生を送っているのかとか。
必死になって調べました。
その中で、ある文言を見つけました。
それは、「昔から自分の性別に違和感があり、その状態を2人の精神科医と婦人科医または泌尿器科医が診察し、見解が一致すれば(GIDの)診断が確定する」というものでした。
これを見つけた時、僕は大きな絶望感に包まれました。
なぜなら、僕はGIDであって欲しいという願いは合ったけれど、この条件には合ってなかったから。
それに、もし万が一入っていたとしても、医師に診断してもらわなければならないというのがとても重かったのです。
なぜなら、強いうつ状態にありながら、
「あなたはうつ病ではない」
と言われるのが怖くて精神科を受診していなかった僕に、この文言はずしんとのしかかってきました。
それで、性適合手術に関して諦めることにしました。
でも、頭からは離れませんでした。
理解者との出会い
それから時間が経ち、30歳の誕生日を迎えました。
この頃も、男性扱いされることに大きな嫌悪感を抱いていたのですが、どうしようもなくて、半ば諦めながら生きていました。
そんな翌年の3月、僕は人生を変えるような大きな出会いを果たしました。
友人の誘いで、「和来和来」というカフェに行くことなったのです。
そこのマスターはゲイで、僕が性別のことで悩んでいたことを知っていた友人がそこを紹介してくれました。
そんな彼に自分の話をすると、「君はXジェンダーではないか?」という見解を示してくれました。
正直まったく知らない言葉でした。
調べてみると、「Xジェンダーとは、性自認(自分の性別をどう認識しているか)が、男性にも女性にもはっきりと当てはまらない人のこと」とのこと。
こんな性別があるなんて知らず、目からウロコが落ちたような気分になりました。
それ以後、僕はひたすらに自問することになりました。
ひたすら自分の気持ちと向き合い、自分の経歴とその定義をすり合わせる日々。
すぐさま「僕はXジェンダーなんだ!」とならなかったのは、厳密にそうでなければ気に食わないという僕の性格と、性適合手術を受けたい気持ちもまだあったから。
そうして、1年が過ぎました。
僕は自分の性別は結局わからないままでした。
なんどもマスターに相談したのですが、しっくりこず、女性になりたいような、そうでないような。
でも、男性だけは絶対に嫌。
揺れ動くこの気持ちは何だろう?
わからない。
そんな気分でいました。
そんなふうに自分のあり方を模索しているとき、職場で新年会がありました。
職場の新年会
僕は相変わらず、強い男性嫌悪がありました。
そのため、男物のスーツを着られませんでした。
じゃあ、新年会を休む?
うーん、さすがにそれは難しい…。
などと毎日考えていました。
そんな自分に、沸き起こる気持ちがありました。
「レディースのジャケットとか着て行っちゃいなよ」
「ユニクロにそういうのあるじゃん」
「OIOIにはMTF向けの靴売り場があるでしょ」
「てか、今着てる仕事着、レディースじゃん。やっちゃいなよ!」
※MTFとは、Male to Female。体が男性だけど心が女性の人のこと。
仕事着はパッと見、ユニセックスに見えるので問題なかったですが、女性物のジャケットとパンツ、パンプスはあきらかに形が違います。
というか、男物のスーツと見た目がぜんぜん違う。
絶対何か言われる。
人の目を非常に気にする性格なので、とても戦々恐々としました。
でも、それ以上に男物のスーツを着るのはとてつもない抵抗感がありました。
だから、考えに考えに考え抜いて、ついに決行することにしました。
結果、誰からも茶化されず、滞りなく終わりました。
あっけないほどに。
想像していた怖いことなど一切起きませんでした。
そして、1つわかったことがありました。
そのように参加して、僕は満足したのです。
女性物の服を着て、パンプスを履いて式典に出たことに満足した自分がいました。
「もはや女性らしくする必要はない」
そんなふうに思ったのです。
その結果、再び僕はわからなくなりました。
女性らしくあるのはもういい。
でも、男性らしくあるのは絶対に嫌だ。
じゃあ、何なのだ?
Xジェンダーのように気持ちがハッキリわかれてるわけじゃない。
何なのだ?
もうよくわからなくなっていました。
Questioningというあり方
そんなとき、和来和来のマスターから「Questioning」というあり方を教えてもらいました。
Questioningとは、LGBTQ+の「Q」に当てはまるもので、「自分の性別や好きな相手の性別がわからない。わからなくていい」とする性別。
XジェンダーとQuestioning、似ているので違いがわかりにくいのだけど、
「Xジェンダーは、男性でも女性でもないとハッキリと理解している」
「Questioningは、それさえもよくわからない」
という違いがあります。
それで、僕はまた自問自答を始めました。
自分の中の性のあり方を一つひとつ検証しました。
体の性別は男性だけど、
心は?
ジェンダーは?
性的指向は?
女性でいたいのか?
男性がいいのか?
誰を好きになるのか?
と、ずっと自問自答して、観察、分析し続けました。
そうして、ようやく自分がQuestioningなのだと実感しました。
自分は男性でも女性でもないのは確かでした。
だけれども、そのどちら寄りであるか、どちらもあるのか、まったく無いのか、そこらへんがまったく分かりませんでした。
好きな相手も、女性は好きになることもあるけど、男性を好きになることもありました。
でも、バイセクシャルと名乗るには違和感があって、
(一般的にわかりやすくバイセクシャルと名乗ってはいましたが。)
一番感覚にあった言葉は「自分が好きになった人が好きな人」という感じです。
そうやって考えに考え続けた結果、「答えが出ない!出したくない!」という気持ちに気づきました。
それで、自分はQuestioningだってわかりました。
納得しました。
そして、今
そう自分の性別を自分で定義、納得してから、もう6年近く経ちました。
もうそんなに経ったんだと、今、しみじみと感じています。
そんな最近なのですが、また自分の性別がよくわからなくなってきています。笑
Questioningなのは間違いないのだけど、自分の感覚が変わってきているのです。
気分的には真ん中でウロウロしていた心の性別が、やや男性寄りになっている感じ。
昔の僕なら全力で拒絶していただろうけど、今の僕は「そっかぁ」くらいに感じられるようになってきています。
なぜなら、このユラユラ揺れ動く感じにもだいぶ慣れたから。
この感じはこの6年の間にもありました。
たぶん、これからもユラユラと揺れ動いていくのだろうなぁと思います。
Questioningは思春期に生まれやすく、自分の性別がわからなくなる子がいると聞きます。
しかし、そうではないQuestioningもいます。
僕のように。
本当はこれを書くのを悩んでいました。
メジャーなストーリーとは大きくかけ離れていたから。
男性嫌悪から始まった物語なんて、おかしいと思っていたから。
けれども、実際に今もよくわからないし、よくわからないままにしたい僕がいます。
それは間違いない事実。
それに自信を持たずしてどうするの。笑
その気持ちに正直になった結果、この記事が生まれました。
この世界は広いです。
だから、メジャーなQuestioningストーリーを見て自信を失っている人は少なからずいると思います。
この記事がそんな人の力になれれば嬉しいです。