弟の誕生日です。
昭和50年2月11日 朝確か7時半ごろかな?
弟は 前の年事故で7歳と言う短い生涯を閉じた弟の産まれ代わりのようにして
私たち家族の所へやってきました。
2月11日になると思いだします。
その日は部活もなく 祭日と言う事で のんびり朝寝坊
いつもは お弁当づくりの為 朝6時起きなので
たまには のんびり寝ようと思っていたら
朝6時 母に「前の溝掃除しなさいっ」と起こされる
眠い私は「う~ん あとで」とニ度寝しようとしたら
「何言ってるの、今しなさい」って それでも起きない私に
なんと臨月の母は箒を片手にやってきた
次の瞬間 寝ている私の足に バシーンと箒が飛んできた
イタタタタッと飛び起きる私
この記憶が 母に叩かれた最後の記憶となりますが
そう 母は病弱なのに気が強く すぐに手が出るタイプ
どれだけ叩かれたか^^
朝6時半ごろかな?シブシブ溝掃除をすると 父が「母さん どうやら
産まれるみたいだから病院へ連れて行く」って
この時の父の神妙な顔
あとで知らされたのですが 先生からは出産をとめられていたらしいです
母の体力では出産は無理だと 母の年も39歳
今でこそ珍しくないですが年齢の事 母の体の事を考えると
最悪は母子ともにダメになるか もしくは 母体もしくは子供のどちらかが危ないか
という状態だったらしいです。
だから母は私に何かを伝えたかったのか?
それこそ 命がけで子供を産みに行くと言う事を言えなかった母の気持ち
父の気持ち それは亡き母の年を私自身が超えた時ぐらいから
そうなんだろうなぁとわかる気がした。
で、私はと言うと
命がけで母が産んだ弟に対して 良い姉ではなかったなぁと
今も同じ神戸の空の下にいながら 弟に姉らしい事は
何もしてあげれない 悪いなぁと反省しつつ そして
弟が産まれてきてくれたこの日にはいつも
両親の弟誕生の日の事を思い出す。
命がけで 弟を産んでくれた母に感謝
そして その母を支えた父に感謝
弟の誕生日に「弟の周りがいつも笑いで絶えない幸せな場所でありますように」
と祈る